幕張

葬儀での幕には、葬儀があることを告知することと、式場を作り上げるという目的があり、さらに室内の不都合な物などを隠すことに使用されます。

伝統的に、葬儀の告知(家の外部)には鯨幕が使用され、式場を作る(式場内周囲)には白幕が用いられています。但し、室内で鯨幕を使用する例も多く見られます。また、鯨幕は黒白が一般的でしたが、近年では地方により青白も見受けられるようになっています。

幕を張る位置については、画鋲の使用もあり、事前に遺族に確認をとる必要があります。近年の建物および建材によっては、画鋲がきかないことも多く、木材などによる下地作りから始める場合もあります。打ち合わせの段階で設営作業見取り図を準備しておくと、必要な材料の手配までスムーズに進みます。

〇鯨幕

一般に面積があり、重いため、しっかりと留める必要があります。張った後に、平行、直角に張られているか、縦縞が垂直になっているか点検します。

〇白幕

式場となる部屋の全面に張りめぐらす場合と、祭壇の周囲を張りめぐらす場合があります。式場を他の空間と区別して儀礼を行うにふさわしい場所として荘厳(お飾り)する一環として行われます。

具体的には次のことに注意します。

1. 幕の上部、下部が平行に張られること

2. 弛み緩み、引っ張りすぎがなく張られること

3. 角に隙間ができないようにすること

4. 継ぎ目には充分な重ね代をとること

5. ひだをとる場合は間隔を揃えること

6. ひだが左右で揃っていること

7. 画鋲が外から見えないこと

8. 画鋲が外れないようにすること

〇水引幕

祭壇の前部の中央にあたる位置に水引幕を張ります。水引幕には家紋を入れることもよく行われます。現在では幕も装飾性と個性化が進み、ひだ幕、ぼかし染め幕などが使用されています。また材質の違いでは、レース、金蘭、沙(しゃ)などを使った幕もあります。

 

式場としてふさわしい空間を作るための工夫ですから、設営する葬祭業者の独りよがりではなく、個々の葬儀空間としてふさわしいものになっているか、全体との調和が図られているか、などの点に常に注意します。

 

幕は基本として真ん中から左右に張り進めます。幕には縦ひだ張りと横ひだ張りがあります。これに対して、平面的に張るものを「平幕」と呼びます。横ひだ張りでは、平幕の約3倍の量の幕が必要です。縦ひだ張りは、横ひだ張りよりさらに立体的な仕上がりとなり、装飾性が強調されますが、時間も幕の量もより多く必要です。縦ひだ張りは、円筒、二重円筒、半円筒などが組み合わされ水引幕の代わりにされます。横ひだ張りは、祭壇の背幕や脇幕として使用される例が多いようです。

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枕経、遺体処理、納棺

 

〇枕経

起源は中世の浄土教の時代の、誦経(ずきょう)・念仏した臨終行儀にあるといわれており、亡くなったらできるだけ早く檀那寺(真宗ではお手次寺)に連絡して僧侶にきていただき、枕飾りのできたところで読経していただきます。この時、喪服ではなく、通常の衣服を整えて出ればよいとされます。

宗派により考え方が異なりますが、故人に対して読経してきかせる、または仏壇の内仏あるいは本尊に向かって読経するという考え方があります。既に戒名(法名、法号)をいただいているときは申し出、そうでないときは個人の人柄などを話しておきます。

最近では、通夜のときに枕経をあげることも少なくありませんが、本来は死亡直後につとめます。キリスト教の場合には、危篤、臨終のときから神父または牧師が立ち会うことが原則になっています。

 

〇遺体処置

一般的には、枕経の後納棺します。遺族によっては、一晩は自宅の布団に寝かせて、翌日に納棺を希望する場合もありますが、遺体の状況や天候により、翌日までのばすことが可能か適切に判断するようにします。

納棺に先立ち、湯灌、死化粧、遺体衛生保全(エンバーミング)などの遺体処理を施すことがあります。

 

〇湯灌

湯灌は、①昔ながらの湯灌、⓶湯灌業者による湯灌があります。

①昔ながらの湯灌

たらいに水を入れ、それにお湯を注ぎ、遺体を洗浄します。水にお湯を足すという、通常とは逆の方法で温度調節をするので、「逆さ水」と呼ばれますが、最近では病院で死後の処置がなされてくることが一般的になったため、行われることが少なくなりました。

⓶湯灌業者による湯灌

車に浴槽を積み込み、自宅を訪問して、あるいは民間斎場内の湯灌室にて湯灌のサービスを行います。一定の儀礼形式を踏み、布で遺体を隠し、シャワーで遺体を洗浄して、着替え、化粧までを施すものです。

しかし、湯かんを行う人の健康の問題や浴槽の水の廃棄処理の問題など、公衆衛生上の配慮が必要です。また、内容の説明、料金の明示と遺族の同意は必要条件です。

 

〇エンバ―ミング(遺体衛生保全)

エンバ―ミングは、北米では南北戦争(1865年)のときに戦死者を遠隔の故郷に遺体のまま移送する必要性から一挙に普及し、現在では約9割の遺体に施されています。また、北欧・英国でも約7割に施されるなど国際的に一般的な遺体処理の方法です。

体内を固定して殺菌して公衆衛生上安全な状態にすると共に腐敗を止める、顔などを整え修復することなどから、特に事故・災害遺体や解剖後の遺体の修復においては必要性の認識が高まっています。

但し、遺族に対して処置内容を説明して同意書を得ること、尊厳とプライバシーに配慮した処置、必要な訓練課程を修了した技術者による処置が必要とされており、さらに廃液処理においても地方自治体への届出義務があります。

日本ではI F S A(日本遺体衛生保全協会)が自主基準を作成し、エンバ―ミング施設を厚生労働省などへ届け出て行うことを取り決めています。本格的なエンバ―ミングは1988年に開始され、年々増加の傾向にあります。

 

処置の概要は次の通りです。

➊脱衣

全身を確認し、損傷部位がないかを調べます。

❷消毒・洗浄

全身をスプレーで殺菌し、洗浄、洗髪します。

❸口腔などの殺菌

❹髭剃り

❺顔の処置

口を縫合し、閉じて形を整え、目にアイキャップを挿入し、形を整えるなどして顔を整えます。

❻動脈・静脈の剖出と注入管・排出管の連結

皮膚を小切開し、体表近くの動脈と同部位の静脈を剖出。動脈にエンバ―ミングマシーンに繋がる注入管を連結、静脈には排出管を連結します。

❼防腐前液の注入と血液の排出

❽防腐固定液の注入

メチルアルコール、ホルマリンなどからなる防腐固定液を全身をマッサージしながら全身に行き渡らせるように注入します。この薬剤には色素などが配合され遺体の表情に赤みを与えます。

❾体腔への防腐液の注入

体腔の一部を小切開し、内容物を排出し、防腐液を注入します。

❿切開部の縫合

⓫全身の洗浄

⓬修復

修復を必要とする部位の修復をします。

⓭着衣・化粧

遺族の希望する服を着せ、化粧を施します。

 

〇その他の遺体処理

「納棺師」「死化粧」などと言われる遺体処理を専門とする業者が出現しています。病院による死後の処理をより本格的にした処置まで施すことにより、それぞれ評価を高めていますが、作業を行う人たちに公衆衛生上の教育、廃水の処理などが課題となります。

一般的に葬祭業者が行う遺体処理は次のものです。

1. 搬送後の遺体の乱れを修復する。特に血液や体液の漏出に注意し、ゴム手袋を着用する。

2. 軽く顔などの表面を消毒用アルコールで拭く。

3. 着替えを行うか、上から死装束を被せる。

 

〇死装束

かつて故人に着せる死装束は、故人とゆかりのある女性の手によって、糸尻を止めずに縫われました。僧や巡礼者の姿になぞらえ、白木綿に経文を記した、明衣、浄衣とも言われる経帷子(きょうかたびら)です。

経帷子を左前に着せ、三角頭巾を額にあて、手甲をつけ、脚絆を巻いて、白足袋に草履を履かせ、六文銭を入れた頭陀袋を首にかけ、杖を手にし、という西方浄土に旅立つ旅姿をとります。浄土真宗系では冥途の旅を否定しますので、こうした服装はせず、白衣や遺族心づくしの晴れ着を着せます。そして胸に組んだ両手には木製の念珠(数珠)をかけます。最近では、本格的な経帷子の使用が少しずつ減少する傾向にあります。

 

〇納棺

湯かんなどの遺体処理、着替え、納棺は一連の作業として行われることが一般的で、遺族や親しい人にてつだってもらって行います。指輪や装身具は、後から紛失したなどの問題が生じないよう、遺族立ち会いの下で外します。副葬品については、火葬の際に、

1. 爆発のおそれのあるもの

2. 燃えないもの

3. 遺骨を傷つけたり着色するおそれのあるもの は避けることをアドバイスします。

具体的には、ペースメーカー(病院で除去してもらいます)ガスライターなどの爆発のおそれのあるもの、メガネや酒の瓶などのガラス製品、金属でできた釣り竿やゴルフクラブ、金属製の仏具などです。

また、ゴルフボールは炉の中で回って遺骨を傷つけるおそれがあります。

 

〇ドライアイス

エンバ―ミング(遺体衛生保全)した遺体の場合には不要ですが、一般的には腐敗の進行を遅延させるためにドライアイスを入れます。胃や腸の腐敗は早く、腐敗ガスを発生させますから、胸から腹部が中心で、喉元(側頭部)と下腹部がポイントになります。夏場や脳溢血のときなどは量を増やして使用することがあります。ドライアイスは遺族にとって気持ちのいいものではありませんので、目に触れないように処置します。

また、ドライアイスは二酸化炭素を排出するので、搬送時には車内の換気に注意しましょう。また、出棺の際にはドライアイスを除去します。最近の斎場では、冷蔵庫による保管も多くなっています。

 

〇遺体取り扱いの公衆衛生上の配慮

湯灌、納棺などの遺体処理、取り扱いの際には、安全のための対策を軽視してはなりません。素手で作業することが遺体を大切に扱っていることになるという誤った考えは、まだまだ多いようですが、これでは感染するおそれがあります。むしろ衛生上の配慮をきちんとして作業にあたることが専門家として正しいあり方です。

遺体処置にあたっては少なくとも使い捨てマスク、使い捨てビニール手袋は必ず使用します。取り扱い後にはうがいをし、流水で手をよく洗い、消毒用アルコールで消毒します。

 

〇遺体の変化

➊死斑

心臓が停止して血液の流れが止まると、血管内の血液は下のほうに集まります。上になった部分の皮膚は蒼白になり、下になった部分の皮下の静脈には血液が溜まっていきます。 この溜まった血液の色が皮膚を通して見えるのが死斑です。死亡後20~30分で点状の斑点が出現し、死亡後2~3時間で斑点が融合します。死後10時間くらいまでは死斑は固定しませんが、20時間以上経過すると固定します。

❷死後硬直

死後2時間くらい経過すると、筋肉内のグリコーゲンの減少と乳酸の増加に伴ってアデノシン三リン酸(ATP)が減少します。この化学反応のため次第に筋肉が硬化し、関節が動かなくなる現象が死後硬直です。

死後2時間くらいで顎関節に現れ、順次全身の筋肉および、6~8時間で手足の筋肉に明確に認められるようになります。8~10時間くらいまでは、筋肉に力を加えて伸ばすと柔らかくなり、再び硬直を起こします。死後およそ20時間で硬直は最も強くなります。その後は腐敗が強まるため、死後硬直は次第に溶けていきます。

❸腐敗

遺体の腐敗は消化器系である胃や腸から始まります。

死後1時間内外で腸内細菌の増殖が認められます。また、死亡すると胃酸や腸の消化液が胃腸そのものを溶かし、酵素による自家融解を起こします。

腸内細菌の繁殖と胃腸の融解によって腐敗が進行し、腐敗ガスが発生します。この腐敗ガス中に含まれる硫化水素が血液中のヘモグロビンと結合して硫化ヘモグロビンが作られると、腹部が淡青藍色に変色します。この変色が全身に波及し、さらに腐敗ガスが発生すると、全身が膨らんでいきます。腐敗が進行すると、全身は次第に暗赤褐色に変色し、膨らんだ死体は巨人のような外観を呈します。さらに腐敗が進行すると乾燥し、体表は黒色に変色し、体の組織は腐敗汁を出して融解し始め、遂には骨が露出されます。取手市 守谷市 葬儀
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枕飾り

神棚には白紙(白い半紙)を貼る習慣が多く見られます。これは神道が穢れを避けることから、死穢が神棚におよばないようにということで行い、忌みがかかっていない他人に頼んでやってもらうこととされ、忌明け後に取り除きます。仏壇の扉は開けておくのが基本とされています。

〇守り刀

遺体の枕元あるいは遺体の上に守り刀、刃物を置く習慣があります。

死者が武士の場合に枕元に刀を置いた名残であるとか、魔除けや死霊に対する鎮魂のため、死者の魂が持ち去られることを防ぐためなど、さまざまな言い伝えがあります。このため遺体の上に置く場合でも刃先を足の方向にするか、直角に置くか、など地方により異なります。浄土真宗系では使用しません。

〇逆さ屏風

古くからの習俗で、遺体の周囲に屏風を上下逆にして立てることです。死の世界は日常の世界とは逆であるとの考えから、上下を逆にすると言われます。屛風をめぐらすのは、遺体を悪霊から守るため、あるいは死霊が周囲の人におよばないように、など土地により相反する言い伝えがあります。

〇枕飾り

遺体の枕元に、上に白布を敷いた小机か、白木の台を用いて荘厳(=お飾り)します。枕飾りのときに置く仏具は、宗教や土地により異なります。一般的には三具足を供えます。香炉を中央に、遺体に向かって右側に燭台を置き、左側に花立てを配します。香炉には線香を1本立て、燭台には白い一本ロウソク、花立てには一本樒を飾ることが一般的です。これらは1本が原則とされます。供え物には、浄水、枕団子(三方に白紙を敷いて6個の団子を載せる)、枕飯(一善飯、故人愛用の茶碗に丸く山盛りにして箸を1本立てる)などがあります。

浄土真宗系の場合には、遺体に供えるものでなく不要とされますし、線香を立てないで適当な長さに折った線香に火をつけ香炉に横に寝かせる、遺体を仏壇の近くに安置し、前卓に白の打敷を敷いて、樒を立て、灯明をあげ、香を焚くなどの荘厳をします。

枕団子や枕飯などの食べ物を供えるのは、諸説ありますが、霊魂が善光寺参りをするための弁当であるなどと言われており、亡くなったらすぐ作るものとされています。また、香やロウソクの火は消さないようにするものとも言われています。

〇四華

四華は四華花、死華、四花、紙花などと書き、シカ、シカバナといわれます。釈尊の死を悲しんで、沙羅双樹林が白変し、その遺体を覆ったとする故事に基づくとされています。

一般的には、白紙を細長く切り、横に細かい刻み目を入れて、細い棒に螺旋状に巻き付け、4本を一つの台に挿して、2台を一組とします。地方により作り方が異なります。

〇忌中札

玄関に「忌中」と書いた札を揚げることもあります。死穢を他におよぼさないように告知し、遺族は死の穢れに染まっているのでこもっていることを知らせることからきたものです。現在では死者の出た家であることを告知するという現実的な意味が強くなりました。

さまざまな形式がありますが、簾を裏返しにして垂らし、その上に「忌中」と書いた紙を貼ることもあります。昔の死穢観念の名残であるとして用いないこともあります。

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打合せ

打ち合わせに入る前には挨拶し、名刺を出してきちんと名乗る必要があります。その上で、打合せをする相手が誰か、故人との関係もきちんと確認する必要があります。決定権のない人と打ち合わせをして、後から行き違いがあってはいけません。また、相談する相手は1人とは限りません。場合によっては僧侶、牧師といった宗教者を交えて行うことのほうがいいこともあります。信頼できる第三者を加える場合もありますので、遺族の状況を判断し、相手の意思を充分にくみ取って決めるべきでしょう。

 

「喪主」と「施主」は一般的には葬儀を主宰する人という意味で同じように用いられますが、厳密には異なります。

施主は布施する人ということから転じたと言われ、葬儀の金銭面の負担もして運営の責任を負う人です。戸主が亡くなり跡継ぎの長男が未成年のとき、叔父が後見人となり運営の責任を負うなどの場合、長男が喪主、叔父が施主になります。社葬の場合には、喪主は遺族で、施主が企業になります。

喪主を誰にするかは、戦後の民法の改正により、家の祭祀権を承継する者と遺産の相続とは分離されたため、本人が祭祀主宰者を指定すれば誰でもよいことになりました。そこで、故人が指名した人がいないかを確認しておきます。

もし本人が指名した人がいない場合には、世帯主以外が死亡したときには世帯主、世帯主が死亡したときはその配偶者または子どもとするのが一般的です。まれに複数(配偶者と長男、子どもたち等)が共同で喪主を務めることもあります。

 

打ち合わせになると、すぐ祭壇の大きさや費用の見積に入るケースが少なくありませんが、まず遺族の葬儀に対する思いを聞き取ることが重要になります。故人はどういう人だったのか、葬儀に対して言い遺しておいたことはないのか、故人に対する遺族の想いなど、にまず耳を傾けることが必要です。遺族は精神的な衝撃を受けていることが少なくないため、その想いを相手に吐き出させることが、心の傷の癒しにとっても重要なことなのです。「打ち合わせの場は最初のカウンセリングの場」という考え方もあるほどです。

葬儀の施行を引き受けるにしても、遺族の想いを充分に理解し、遺族の想いに耳を傾けて、初めて葬儀の相談に入ることが可能となるのです。

 

遺族にすれば葬儀の経験はあまりないのが一般的です。業者には、消費者契約法により説明責任・情報提供責任が課せられています。注意すべきことは、選択し決定するのは遺族の権利だということです。アメリカでは、消費者保護のため、料金の提示をする際どれにするかを勧めてはならないと法律で定められています。

日本の消費者契約法においても、消費者の主体的な選択・同意が条件になっています。葬祭業者には、遺族が主体的に選択・決定できるだけの情報を消費者の目線で提供する責務があるということです。

 

葬儀を考える際に、最も重視すべきことは「故人中心」ということです。送る者が故人に想いを集中することが良い葬儀を実現するポイントになるのです。ですから、故人が生前言っていたこと、書き残したことなど、故人の考えを中心に進めたとき、葬儀もうまくいくケースが多いようです。最近では自分の葬儀の仕方について、生前予約まではいかないにしても、生前に本人が希望を表明するケースが多くなっています。

 

見積もりに入る前に、相互の考え方にくいちがいが生じないように「基本方針」を確認することが必要です。葬儀業者も、遺族の考え方や意向を理解することができます。

「基本方針」は記録しながら進めます。決して「急がせられた」「押しつけられた」と相手が感じないように、要領よく進めながらも理解を得ながら、遺族があくまで選択・決定する形で行います。生前予約、企業・団体契約、互助会掛金などについては、事前に確認し、その扱い方法を選択してもらいます。

 

「基本方針」の内容は、

①宗教

故人の信仰を最優先し、特にない場合には檀那寺に依頼するか、あるいは特定宗派によらない方式(無宗教)で行うか、または適当な宗教に依頼するかを決めます。

檀那寺に依頼したいが遠方のときは、まず檀那寺に連絡して別の寺院の紹介を受け、その紹介を得られないとき、同じ宗派の寺院を斡旋するという手順で進めます。

葬祭業者は、紹介依頼を受ければお手伝いするが、基本的には遺族が責任を負うべき問題とする姿勢が必要です。その際は遺族のためになる信頼できる寺院・教会を紹介するよう努める必要があります。

⓶方式

個人葬か社葬・団体葬か、会社・団体や町内会などとの関わりをどうするか、身内だけの密葬にするか、改めて本葬あるいは偲ぶ会のようなものをするのかなどを決めます。

③式場

会葬者の予測人数、葬儀の方式などを考慮し、自宅や寺院でするか、民間斎場や火葬場付設の式場、集会所を利用するかなど検討し、遺族の希望を確認します。

④日程

寺院などの都合、家族・親族への連絡や集合の都合、地域社会での行事の都合(祭などとぶつからないか)、式場や火葬場の都合などを考慮して決めます。葬儀期間中の日程表(時刻表)を別にパソコン等で作成し、遺族・関係者に渡しておくようにします。

⑤告知

町内会への連絡、企業・団体への連絡、新聞広告の有無などを確認します。

⑥接待

通夜振る舞い、火葬場での茶菓子、料理、供養品、香典返し、など参列者、会葬者への接待方法、数量を確認します。

⑦設営

祭壇、式場設営などについての希望を確認します。彫刻祭壇、脇生花、生花祭壇、オリジナル祭壇など基本的な希望を確認します。また、写真を用いてのメモリアル(思い出)コーナーのようなものを設営するか、ビデオ放映するか、なども確認します。

➇予算

香典を受け取るか、考えている予算の範囲、その予算には寺院関係費用、接待関係費用も含むかなど確認します。

⑨希望

遺族の側に特別な希望や心配事がないかを確認します。

⑩優先順位

予算その他により、希望が満たされないことが明らかなときは、それを指摘して、どれを優先して考えるべきかの判断を求めます。

⑪役割

受付、接待、その他、町内会、企業などの役割を確認します。

⑫その他

遺影写真、家紋(必要なとき)礼状の作り方などを確認します。

 

最後に基本方針の確認を行います。記録したものを改めて読み上げて確認をとります。

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遺体と公衆衛生

〇感染症は告知されない

遺体を取り扱う人が注意すべきことは、遺体からの病気の感染です。遺体が危険な感染症を有している場合、病院は業者に対して、感染症の広がることを防ぐという感染症新法の精神から言っても、その真実を告知する責任があると思います。しかし、残念ながら守秘義務を盾にして感染症の事実の告知が行われないケースが多いという現実があります。

また、各種解剖の結果、初めて感染症の保有がわかるケースもあり、この場合、判明した頃には葬儀が済んでいたというのがほとんどです。

したがって遺体を取り扱う業者は、全ての遺体には、危険な感染症があるものという前提で対処する必要があります。

〇死体からの感染がないもの

感染症といっても全てが死体から感染するわけではありません。死体からの

感染が通常ないものには次のものがあります。

肺炎、ハンセン病(らい病)、髄膜炎菌感染症、破傷風、菌血症、

敗血症、A型肝炎、成人性T細胞白血病、狂犬病、クラミジア感染症、

梅毒、ワイル病、真菌感染症

〇感染症新法で指定されている感染症

1999(平成11)年4月「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関す

る法律」が施行され、これにより、これまでの「伝染病予防法」(明治30年制定)

が廃止されました。

この法律において「感染症」とは、一類感染症、二類感染症、三類感染症、

四類感染症、指定感染症及び新感染症を言います。

一類感染症とは、エボラ出血熱、クリミア・コンコ出血熱、ペスト、マール

ブルグ病及びラッサ熱です。

二類感染症とは、急性灰白髄炎、コレラ、細菌性赤痢、ジフテリア、腸チフ

ス及びパラチフスです。

三類感染症とは、腸管出血性大腸菌感染症です。

以下の一類・二類・三類感染症の患者の場合、原則火葬とされ、24時間以内

の火葬が許されています。

四類感染症とは、「インフルエンザ」、ウイルス性肝炎、黄熱、Q熱、狂犬病、

クリプトスポリジウム症、後天性免疫不全症候群、性器クラミジア感染症、梅毒、

麻しん、マラリア、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症その他の既に知られ

ている感染症の疾患であって、国民の健康に影響を与えるおそれがあるものと

して厚生省令で定めるものを言います。

その他、必要に応じて指定感染症あるいは未発見の新感染症が対象とされま

す。

※SARS(新型肺炎)は新感染症に指定されました。

〇取り扱いに注意を要する感染症

①MRSA

「院内感染」と言われる病院内の感染で、しかも濃厚感染の場合に問題とな

ります。体力の弱った手術直後の患者や老齢の長期入院患者に対しては危険

性が高くあります。

健康体であれば感染の危険はないとされていますが、体力の弱っていると

きには注意します。二次感染の危険もあるので、取り扱い後の消毒は心がけ

ましょう。

②C型肝炎

感染経路が多岐にわたっており不明な点が多いので、血液、体液には触れ

ないように注意します。但し、血液、体液以外の通常の接触であれば感染は

ないとされています。

③リケッチア感染症

病原微生物の1つリケッチアは、虱、蚤などの体内にあります。虱や蚤は

死体の体温が低下すると死体から離脱しますから、死体からの感染はありま

せん。しかし寄生していた虱などが着衣や寝具に移動するので、衣服の着脱

や寝具の移動を行うときには注意が必要となります。

以下、注意を要する感染症について述べます。

〇結核

死体内の結核菌は長時間生き続けます。目、鼻、気管支の菌は乾燥し、死体

の向きを変えたとき、衣服の着脱時、納棺時などに体内から放出されます。また、

結核患者が生前使用していた寝具、着衣には多量の結核菌が付着しているので

注意が必要です。

結核死体は高齢者に多く、その特徴は、胸部に変形があり、異常に瘦せており、

リンパ節腫脹(はれもの)があることです。

結核菌は紫外線に弱いので、使用した棺覆い、ストレッチャー、白衣などは

晴天時に30分以上太陽の光にあて、使用した車も窓を開け、風通しをよくしま

す。使用した器具等は消毒剤(ヒビテン、エタノール)で消毒します。

防護方法は、取り扱い時にマスクを着用し、終わった後にうがいをすること

です。

〇B型肝炎

B型肝炎ウイルスは通常の状態で7日以上生存するため、火葬までの間危険

が続きます。最も危険なもので、葬儀従事者は予防としてワクチンを接種する

ことが望まれます。

死体から漏れ出た血液は、体液は、有効消毒剤で拭き取るか、できるかぎり触

れないようにします。

空気感染はないので、ゴム手袋を着用することにより防ぐことが可能です。

ゴム手袋の使用が不可能な場合でも、傷のある手で触れてはいけません。

取り扱い後、流水で手をよく洗い、消毒剤(0.1%ミルトン液に1分以上)で

消毒します。消毒用アルコールも流水と一緒であれば効果がみられます。

〇エイズ

血液、体液の濃厚接触に注意します。通常の接触ならば問題はないとされ、

素手で死体に触れる程度では感染はおこりません。但し、取り扱い時には使い

捨てのゴム手袋を着用し、終わったら必ず捨てます。

エイズは死亡診断書(死体検案書)の死亡欄にはっきりと書かれることがあ

りません。呼吸不全、肺炎、髄膜炎、多臓器不全、結核症、免疫不全などと書

かれることが多いようです。自殺死体にもその動機となったエイズが記載され

ることはないので注意が必要です。

〇遺体の取り扱い方の一般原則

遺体取り扱い者は、遺体がどんな感染症をもっているかわからないとき、それなりの対処をする必要があります。事前にできるだけ病状について医師から情報を得るように努めることは大切なことです。葬祭業者の仕事に対する医療側の理解を求めたいところです。

また実際にはB型肝炎がとりわけ危険ですので、遺体を取り扱う人にはワクチン接種を義務づけるのが望ましいと思います。

全ての遺体は、感染症を保持している可能性があるものとして扱う必要があります。

そのため、

①まず使い捨てマスクと使い捨てゴム手袋を着用します。

⓶手に傷のある場合には取り扱わないか、手袋を二重にします。

③取り扱い後、うがいをし、流水で手を良く洗い、消毒アルコールで消毒します。

④遺体を移送する場合には、使い捨てシーツを使用し、胸を圧迫しないように優しく包んで運ぶように注意します。

感染症法により指定された一類・二類・三類の感染症を保有する場合など危険な遺体については、着衣をそのままに納体袋に入れ、密閉します。医師の指示に従って注意して取り扱います。

遺体は公衆衛生上、必ずしも安全ではありません。できれば白衣を着用するなど、専門家としてきちんと取り扱います。しかし、どのような遺体も尊厳は守らなければなりません。

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戦後の葬儀

昭和20年に第二次世界大戦は日本の敗戦で終結しますが、戦争終結直後の数年は物資不足、インフレで国民生活は混乱しました。しかし、その後の朝鮮戦争の特需景気もあり、日本経済は次第に立ち直り、葬儀も復興し変化していくことになります。

 

戦後の変化の一つは、祭壇や葬具です。昭和28年前後に祭壇、棺、繊維などの葬具製造・販売業者が続々と誕生します。それまでは葬祭業者が自分で製作していましたが、仕入れて使用するようになり、地方特有の葬具は姿を消してバラエティに富んだ商品開発が盛んになっていきます。高度経済成長に合わせるように蛍光灯使用祭壇などが使用されるようになり、昭和35年以降は「葬儀=祭壇」とも言うべき図式が成立するまでになりました。

 

昭和20年代後半は「虚礼廃止」の名の下で自粛、制限が申し合わされ、自治体による公営葬儀も登場しました。貧富の格差も大きかったという事情が背景にあったようですが、   葬祭業者にとっては打撃となることで、各地で反対運動が展開されると共に、これを一つの契機として昭和31年に全日本葬祭業組合連合会が誕生します。発足時の全葬連への加入組合数は13、構成した業者数は851でした。現在葬儀の全国シェアの3割以上を占めるにいたった冠婚葬祭互助会が誕生したのは、戦争終結後間もない混乱期の昭和23年のことです。

横須賀の西村葬儀社が、蓄えもなく満足に結婚式や葬式をあげられない当時の事情を考慮して開始した横須賀市冠婚葬祭互助会がその最初です。当時の普通会員の掛金15円(満額1、800円)で期間は10年でした。

これを昭和28年に日本経済新聞が記事にしたことで、冠婚葬祭互助会が全国各地に誕生します。互助会は月々定額積立で安価に結婚式や葬式ができるということで急激に普及していきます。通産省(当時)の管理下におく「割賦販売法改正」が国会で成立され、前払金の保全を行う互助会保証(株)、全国の互助会を傘下におく社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)が発足しました。

 

安価な葬儀ということで、葬儀料金の体系化・明朗化に影響をおよぼし、専門業者の団体である全葬連も各地で標準仕様作りを進めるところとなります。互助会においては、地方色を薄れさせ、葬儀の全国的な標準化、商品のパック化を進めたとの見方もあります。

現在、葬儀ローンや共済制度、あるいは保険を利用した新たな葬儀システムが登場していますが、顧客獲得と葬儀費用の支払いをシステム化し成功した最初のものが互助会でした。

専門業者の集まりである全葬連は、全国の組織化を進めると共に、昭和43年には「葬祭サービス業」を標榜するようになります。都市化や核家族化の進展によって、葬儀運営の主体が、それまでの地域共同体から業者に移行するという変化に対応しようとするものでした。葬具提供業から葬儀運営まで請け負う葬祭サービス業へ、「ハード中心からソフト中心へ」という現在まで続く業態転換となりました。全葬連は昭和50年に通産省認可の全日本葬祭業協同組合連合会へと発展します。(2003年の加入組合数57、所属業者数1562)

 

農協は、葬具貸出を大正末期より始めていましたが、業者依存する葬儀が増える昭和40年以降、葬祭事業を開始する農協が増えてきました。自前の葬祭センターを設けて本格的な事業化を図るようになり、また員外利用(組合員以外の利用)の増加しましたが、各地で既存業者との摩擦も増えていました。

 

戦後になり病院死が増え、葬祭業者と病院との提携が進みます。この頃より企業・団体と契約する営業方法が現れてきます。特に昭和60年以降はこの傾向が強く、構成員の福利厚生を考える生協、企業、団体、労組の意向と合致したこともあったようです。

 

大正時代から昭和の戦前にかけて霊柩車が利用されるようになりましたが、宮型霊柩車の使用が増えていくのは昭和35年以降のことです。交通の近代化、激化が地方にもおよぶところとなり、高度経済成長の波とともに宮型霊柩車が全国に普及しました。それと同時に各地で葬列が姿を消し、告別式にとって代わられるようになりました。

霊柩事業はもともと運輸省(現・国土交通省)陸運局による免許事業でした。社団法人全国霊柩自動車協会(全霊協)が協業化などによる構造改善事業を推進し、免許制から許可制に、さらに2003年には事後届出制となって自由化がいっそう進みました。全霊協は昭和22年に六大都市霊柩自動車連絡協議会を作り、社団法人として認可されている葬儀関連業界最大規模の組織です。

霊柩車は宮型が全盛となっていましたが、平成5年以降はバン型の輸入あるいは国産の洋型霊柩車が増加しています。

 

  • 霊柩車の車種別割合     宮型    洋型    バス型    バン型

1998年  38.4%   5.7%    11.6%    44.3%

2003年  33.2%   12.2%    9.6%    45.0%

 

戦前の昭和15年に55.7%と初めて過半数に達した火葬率は、戦後一気に上昇すると、各地方自治体で火葬施設の新設、統廃合、改善が推進され、昭和35年に63.1%と6割をこえ、昭和55年91.1%、平成13年には99.1%となっています。これは世界一の高水準です。

現在では「火葬場らしくない」近代的施設として無煙化、無臭化、緑地化を進め、地域住民の嫌悪感をなくすため「斎場」などと称するところが多くなりました。昭和47年に日本火葬施設整備管理協会が厚生省の肝入りで発足し、平成7年には、にほん環境斎苑協会が発足しました。阪神大震災で火葬場の一部が稼働停止し大きな影響がでたことから、災害時の対策、周辺火葬場との連携にも取り組んでいます。

 

火葬をめぐる地域習俗の違い、火葬を葬儀のどの時点で行うか、拾骨の方法などは、全国で大きく2つに分かれます。東京や関西その他では葬儀・告別式の後に火葬を行いますが、北海道や東北地方全域、関東北部や北陸、中国地方の一部などは葬儀・告別式に先立って火葬を行います。これは古くからの慣習というよりは、火葬導入にあたって、多くの地域で火を土葬の代わりと考えたのに対し、前記の地域では葬儀の最終局面を墓地への納骨と見る考えから火葬を葬儀・告別式に先行させたものとおもわれます。

また拾骨の方法は、日本列島を能登半島と静岡中部を結ぶラインで分けると、東側と西側一部が全部拾骨、大部分の西側では部分拾骨で、骨壺の大きさが異なります。

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神道と神葬祭

〇近世宗教としての神道

神社信仰は日本古来の民族宗教ですが、「神道」という一つの体系をもった宗教として成立するのは鎌倉時代中期以降のことです。神道の体系や儀礼を作り上げるのに特に貢献したのは吉田兼倶(1434~1511)です。兼倶は密教や陰陽道を取り込み神道を体系化していきましたが、日本においては神道が儒教や仏教に対して宗主的な位置を占め、万法の根底であると理論づけました。

〇吉田神道による地方神社の組織化

惣村における寺院の建立や寺檀化の進行により、地方においては仏教の影響力が強まる反面、神社は地位の低下を招きました。他方、神仏習合(神道と仏教の融合)によってできた、神社内に造られた真言宗や天台宗系などの寺院である神宮寺や別当寺も室町時代後期になると寺院を離れ、修験道の手に移っていきました。吉田神道はこうした神社、神宮寺、別当寺などを唯一神道として支配下におくようになり、それはほぼ1700年頃には完成されたと言われます。

〇儒学者からの仏教批判と儒葬

藩などの行政に関係した儒学者からも仏教批判が出てくるようになります。特に民衆の寺院への寄進、布施は、藩の徴税と対立したため「寺院が民衆を経済的に圧迫している」などと、僧侶の道義批判の形をとって仏教批判を強めるところとなります。

17世紀には水戸藩や土佐藩などは儒葬が行われています。

〇仏教排撃と神葬祭

仏教からの独立を果たそうとする神社にとっての大問題は、檀家制度(寺請制度)でした。これによって、神職といえども檀那寺に属さなくてはならず、また仏教葬を強いられていたからです。そこでそれらの神社は、仏教を排撃し、仏教色を払拭し、宗教としての神道を確立すると共に、神葬祭を唱えるようになりました。しかし、神葬祭を実施することは檀家であることをやめることでしたので、檀那寺の許可が必要となります。これは、寺院との軋轢(あつれき)を生じさせるところとなりました。幕府は宗教問題としてよりも民衆支配体制の問題として檀家制度をとらえていましたので神葬祭を容易には許可せず、ようやく1785年、幕府は「吉田家から葬祭免許状を得られたならば神職当人および嫡子(ちゃくし)に限って寺院の宗門を離れて神葬祭をしてよいが、その他の家族は宗門を離れてはいけない」という判断を示し、これは明治維新まで続きます。また、この当時の神葬祭というのは儒葬的なものにとどまりました。神葬祭の形式がまとめられるのは1872(明治5)年に維新政府の教部省により制定された『葬祭略式』によってです。幕末になると平田篤胤(1776~1843)などによる復古神道、国学者による排仏論が強まり、社会的な影響を与えることになりました。

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惣村の形成と葬祭仏教化

日本の社会は農業が主体でしたから、農業社会がどうであったかが葬儀においても重要なこととなります。

〇「近世の村」の誕生

鎌倉時代までの農民結合は有力名主層が中心でしたが、南北朝から室町時代になると弱小農民層もその結合の中に組み込んで、「近世の村」と言われる葬村が形成されていきます。

農民による自治組織、共同体として村が作られるようになって地域共同体ができあがっていきます。惣村は、地域の連帯を守るため罰則など検察・裁判機能も有し、領主の年貢の増税に対する闘争組織でもあり、余った生産物を保管する組織でもありました。

〇仏教の民衆化と葬祭

惣村の形成により、自立した農民たちは財政的にも寺院を支えていくことができるようになります。こうして仏教各宗派は地方に進出し、寺や道場が次々に作られて、仏教がより民衆化していきました。

庶民の葬祭を広く推し進めたのは浄土宗でしたが、この他、禅宗(特に曹洞宗)、密教(真言宗)、日蓮宗、天台宗、浄土真宗 (一向宗)などが民衆に入り込む場合も葬祭を中心にすることが多く、葬祭仏教化がいちだんと進むこととなりました。

〇土地の民族と融合した民衆の仏教葬

民衆の葬祭においては、仏教式の葬儀が民衆の中に入るというだけでなく、それぞれの土地の民族と仏教が融合していく形をとりました。これは江戸時代以降も同様でした。現在同じ仏教の葬儀であっても、宗派による違いもありますが、地域による違いが大きいのは、仏教と民族との融合の結果なのです。

〇民衆の葬祭と火葬

室町時代後期以降、貴族や武士の間では火葬が進みました。しかし民衆の葬法は、仏教葬が進展して支配的になっていっても、全体から見れば土葬が多かったと思われます。 ずっと後の明治時代中期での火葬率は全体の3割未満でしたから、民衆のレベルでは仏教と火葬の結びつきはそれほど強くなかったものと思われます。仏教でも浄土真宗系以外においては火葬をそれほど推進していません。また火葬の進展を防げた原因には火葬施設を整えることや燃料の問題もあったと思われます。

〇自然発生した檀家

日本において仏教寺院と民衆の関係は、<檀那寺(旦那寺)-檀家>の関係で結ばれています。元来「檀家」とは古代インド語のダーナパティの音写である「檀越」の略で、寺・僧を供養する施主の意味であるとされます。

中世まで寺院を支えたのは貴族や武士でしたが、室町時代の末期、応仁の乱以降の戦乱の時代を中心に惣村が形成されると、農民も寺院の支え手に加わってきます。 農民は、葬祭、仏事を寺院に委託する代わりに、地方の葬村に進出した寺院の維持費を負担したことにより、自然発生的に檀家関係が誕生していきました。

このような寺院を檀那寺(旦那寺)、また寺院に属してこれを支えた人々を檀家と言い、寺院と檀家の関係が寺檀関係と称します。

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在家葬法の原型

〇禅苑清規

現在の仏教葬儀は、浄土真宗系を除いて、死者に仏教の戒律を授ける受戒や引導が中心となっていますが、その儀礼の原型は禅宗(曹洞宗)にあると言われています。仏教葬儀は、インドでは火葬の際に、『無常経』をあげる程度でしたが、中国に入ると儒教の葬送儀礼の影響を受けて儀礼を整えていきます。特にその影響を強く受けたのが禅宗で、1103年に書かれた『禅苑清規』が葬送儀礼の原型と言われます。

〇尊宿喪儀法と亡僧喪儀法

禅宗の葬儀は、出家である僧侶の葬儀の仕方を定めた尊宿喪儀法と修行の途中に亡くなった僧に対する葬儀の仕方を定めた亡僧喪儀法の2つに分かれていました。 尊宿喪儀法は亡くなった僧侶とその弟子たちに弔意を表すことが中心で、亡僧喪儀法は死に臨む修行途中の僧侶の心中を察して、仏法の真理を伝授しようとする願いが中心だったようです。 この亡僧喪儀法が、浄土教や密教の影響を受けて念仏や往生祈願なども採り入れ、発展して武士や在家の儀法(檀信徒喪儀法)になりました。

〇在家の葬法

在家の葬法は亡僧喪儀法から発展して制度化されたものですから、死者にお経を読んで仏の覚りを得させ、僧にする印として剃髪し、戒名を授けます。そして引導を渡して成仏させるのです。これは死後に僧侶にするので「没後作僧」と呼ばれます。現在の仏教儀法の原型はここにあります。

〇龕堂(がんどう)での仏事が葬儀式の原型か

当時は、龕堂と火葬場(墓所)の2ヵ所で仏事が行われたようです。「龕」とは棺または棺を納める容器のことで、龕堂は柩を安置する所を指します。お寺や自宅、あるいは当時火葬場である火屋と向かい合う形で龕前堂(今で言う斎場、葬儀式場のようなもの)が作られました。この龕堂での仏事が今の葬儀式に発展したものと思われます。

〇禅宗の葬儀の次第

遺体を湯灌し、剃髪し、清浄な新しい着物に着替えさせ、龕(桶の形をした棺)に納めて、袈裟などで覆います。この覆いは現在の棺覆いの元と思われます。龕前には卓を置き、それに白打敷をかけ、卓上に花、香炉、燭台のいわゆる三具足を並べ、その他故人愛用の道具を並べます。これは現在の枕飾りであり、祭壇の原型になったものです。 龕前の準備が整ったところで一同が集まり仏事を行います。僧侶が法語を唱え、焼香し、茶湯を献じ、読経、回向と続きます。

〇白幕と掛真

ここで葬儀の設営と関係して注目されるのは龕を移した部屋の周囲に白幕を張りめぐらしたことです。また、龕を閉じた後、掛真(けしん)の儀式があります。これは個人の肖像画を須弥壇の上に飾ることですが、今の遺影写真を見る感じがします。

〇葬送と火葬

火葬(埋葬)の当日には起龕と読経、つまり出棺の儀礼を行い、葬列を組んで火葬場(墓所)に向かいます。そして火葬場で仏事を行って荼毘に付します。翌朝、火葬場に赴き拾骨をし、遺骨を寺または自宅に安置して安位仏事を行います。これは現在でも火葬後に遺骨を安置して法要を営むことにつながっています。

禅宗では本来、龕前、移龕、鎖龕、起龕、火葬(埋葬)と、遺体を移動させたり遺体に対して所作を行うごとに仏事を重ねることになっていましたが、次第に簡略化されて、自宅と火屋(あるいは墓所)での仏事のみとなっていきます。

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鎌倉・室町時代の葬儀

〇「吉事次第」「吉事略儀」

成立年代はふめいながら、鎌倉時代あるいは室町時代の貴族、武士の葬儀の次第を書いたものに「吉事次第」あるいは「吉事略儀」があります。「吉事」とあるのは「凶事」を嫌って言い換えたものと言われます。

※以下、五來重『先祖供養と墓』、新谷尚記『日本人の葬儀』を参考にしました。

〇御座直し

死亡すると「御座直し」が行われます。北枕にして筵(むしろ)の上に寝かしなおし、屏風(逆さ屏風)や几帳を建てめぐらし、枕元に灯明を1つ立てて消さないようにし、香をたき、夏は酢を鉢に入れて死者の鼻の近くに置き(消臭のためと推定される)、人々も僧侶も屛風の外にはべります。

〇入棺

次は入棺です。棺の中には香と土器の粉を入れます。臭いをとるためでしょうが、その他お茶の葉などの香りの高いものを入れたようです。入棺する役の人は紙ひねりで腋帯(わきおび)をするとあります。筵ごとに棺に遺体を納め、枕を入れ、着物の上から引覆(野草衣と言い、曼荼羅を描いたもの)をかけます。引覆の上から頭、胸、足の3ヵ所に土砂加持の砂をかけます。棺に蓋をし布の綱で縛ります。そして北枕で安置します。ここには書かれていませんが、当時は湯灌も行なわれていたようです。

〇葬送

早朝に山作所と言われる墓を作ります。当日、素服という粗い布で作った喪服を裁縫します。夜になるとその素服を着て御仏供養を行い、出棺となります。棺は御車(牛車)に入れて火葬場まで運びます。

出棺すると寝所を竹の箒で掃き、塵や箒は川あるいは山野に捨て、枕火を消します。

〇火葬

火葬場には荒垣をめぐらし鳥居を建て、その中に小屋を作ります。火葬は小屋の中で行います。

火葬場には御車が到着すると導師の呪願と僧侶が御車の前で儀礼を行い、棺を小屋に移して火葬をします。近親者や僧侶はその間真言を誦します。

火葬が終わると火は湯で消し、灰は水で流します。骨い拾いますが、各自が箸ではさんで次々と他の人へ渡していきます。

遺骨は甕に入れて土砂を入て、蓋をして白の皮袋に入れます。

〇納骨

召使が遺骨を首にかけ三昧堂(高野山や納骨する寺)に運んで納骨します。納骨する際には御堂の仏壇の下に穴を掘り、その中に納骨し、上に石で覆い、石灰を塗り固めておきます。

帰宅する前に藁で作った人形で手祓いをします。

〇香奠、白布、位牌

室町時代の他の記録を見てみますと現在につながるのもが出てきます。例えば武士の間ではこの頃より金銭による香奠がよせられた記録があります。また現在、葬儀式場には白布をはりめぐらしますが、火葬場の荒垣に白絹の布を張ったとあります。位牌を持ったのは家督です。

〇火葬場での仏事が中心

現在の葬儀では出棺の前の儀礼が中心になっていますが、この時代は、山頭念誦とよばれる火葬場での仏事が中心だったようです。

火葬場で奠湯・奠茶(てんとう・てんちゃ)が行われたり、読経がされました。精進落とし(精進揚げ)は今は初七日の法要の後(葬儀当日に繰り上げて)に行われますが、七七日(四十九日)の仏事をもって精進上げとしていました。

〇善の綱、箸渡し

また、今でも地方に残る葬列の際の善の綱、火葬場の前で3回まわる所作三匝なども見られます。

橋渡しも上の書物に見られた通りです。今は2人の人が組になって拾骨していますが、一人がつまみ次の人に渡すことが簡略化されて現在の所作になったものと思われます。
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