葬儀と習俗

〇野辺の送り

墓地または火葬場まで列を組み死者を送ることを「野辺の送り」と言います。

「野辺送り」「葬列」「渡御」とも言います。大正・昭和期に告別式が発生するまでは葬送儀礼の中心となっていました。

野辺の送りにはさまざまな様式がありますが、松明、提灯、六道を先頭にして、旗(銘旗)、龍頭、花籠、香炉、四華、膳、位牌、天蓋、柩などと続きます。葬列での役割は死者との関係によって決定されます。「善(縁)の綱」とは柩につなげた白い布のことで、これを手にするのは近親の女性や子どもが多かったようです。位牌を手にするのは喪主と決まっていました。また死者に供えた枕飯は喪主の妻が持つとされていたところもあります。

江戸時代までは葬儀は夜に行われたことが、松明が先頭に立つことでわかります。村の辻で柩を回したり、帰路は往路と道を変える、埋葬に使用した鍬、草履を捨ててくるなど、死霊が家に戻らないようにと、さまざまな呪法も行われました。

現在では霊柩車の使用もあり、本格的な葬列を見ることはなくなりました。寺院に入場する際に寺門から斎場まで、霊柩車に遺体を納める際に自宅または斎場から霊柩車の位置まで、墓地に納骨する際に寺院から墓地まで、と部分的に葬列を組む習慣を残しているところもあります。また、葬列は組まないものの、葬列の役割を発表する習慣だけを残ししているところもあります。

今、火葬場に向かう霊柩車、マイクロバス、ハイヤー、自家用車の列を「葬列」と称することもあります。

〇湯灌

湯灌とは納棺する前に遺体を洗い清めることです。遺体を洗い清める習俗は世界各地に見られます。古い湯灌の形は、病院での看護師による死後の処置(清拭)の登場によりほとんど姿を消し、現在、都市部で行われている「湯灌」は、巡回老人入浴サービスから転じた業者の新しいサービスです。

古い湯灌は、盥に水を入れておき、それに湯を加えた温水を用いて遺体を洗浄しました。

通常適温にするのにお湯に水を加えますが、これと逆の方法をとるので「逆さ水」と言います。作法としては、新しい杓を用いて遺体の頭から温水をかけるというのもありました。

近世以降は、男性の血縁者が茶碗酒(湯灌酒)をひっかけながら行うとか親族の女性が行うなど、近親者の役割とされてきました。しかし古く中世には、湯灌は聖と呼ばれた宗教者が行ったと言われます。中世末期までは湯灌は授戒や剃髪と一連の作法で、死者の霊魂を浄化するために行ったとされています。湯灌の作業中に、読経または念仏が行われたこともあります。

湯灌には、座棺に納棺しやすいように死後硬直を解くという実用的効果もあったと思われます。

〇魂呼び

「魂呼び」は人が死亡したとおもわれたとき、死者の枕元で、あるいは屋根に登って、または井戸や海に向かって死者の名前うぃ呼ぶ習俗です。「タマヨバイ」「ヨビカエシ」などとも言います。

市花田身体から霊魂が離れることと理解されていましたから、身体から遊離していく霊魂を呼び戻すことによって死者の蘇生を願うと共に、その死を確認し、死者を愛惜する儀礼と考えられます。

〇食い別れ

葬儀においては飲食が重要な意味をもっています。例えば「通夜振る舞い」と言われる通夜の飲食、出棺に際して(最近は、葬儀式に先立っての場合も多い)の「出立ちの膳(ワカレノシ、タチメシ、ナキワカレなどとも言う)」、火葬後の「精進落とし(精進上げ、忌中祓い、お斎など

とも言う)」があります。

飲食は人間の交わりを象徴するものですから、死者と食事を共にすることによって、死者と最後の交わりをし、別れを行ったものと考えられます。したがって、こうした飲食の席では、しばしば死者用にもお膳が用意されます。神と食事をすることで神の力をわが身に取りこむ、神人共食の観念が影響しているとの考えもあります。

今では、死者の供養のための振る舞いや、葬儀を手伝ってくれたり、わざわざ参列してくれた人へのお礼の意味が強調されていますが、以前はそうした意味に加えて死者との食い別れという性格が色濃くあったものと思われます。

また、飲食は、死者の魂を鎮め、死の穢れに対抗し、これを祓う力があると信じられていたようです。柩を担ぐ人、湯灌をする人、納棺をする人、墓穴を掘る人、こうした人々は死穢に強く染まるとかんがえられ、しばしばこうした役割を担う人へはご馳走が振る舞われました。

四十九日の忌明に作る「四十九(日)餅」は、他界に転ずる死者の霊との最後の食い別れとも、忌明を期した清めの意味があるとも言われます。

〇耳塞ぎ、年違え

近隣の者がしんだとき、死者と同年齢である者は死の穢れに染まりやすいということで、これを回避するための習俗です。

「耳塞ぎ」とは、餅などで耳を塞ぎ、死の知らせを聞かないようにすることです。ミミフタギなどとも呼ばれ、その餅は後で変わるにながしたりしました。鍋などで耳を塞ぐこともあります。また、ただ単に一度手で耳を塞いでから、その後で死の知らせをきくというところもあります。同年齢者はできるだけ会葬しないで、どうしても会葬するときは耳に餅を挟んで行くところもあります。

「年違え」は豆を食べて年を取り越し、死者とは同年齢でなくしてしまう習俗です。

〇イヌハジキ、イガキ、イキツキダケ

墓地に青竹を囲って覆ったり、垣根を作ったりすることがあります。犬が墓地を荒らさないように作るものだと「イヌハジキ(犬弾き)」と言ったり、忌みが外にでないようにするためと「イガキ(忌垣)」と言ったり、さまざまな表現があります。「モガリ」と称することもあります。

土葬した墓があらされないようにという意図もあったでしょうが、四十九日の間は死霊は荒らぶるもので、これを封鎖しておくという意味もあったと思われます。

また、墓の周囲に49本の卒塔婆をめぐらし、中に霊屋を置くのを「四十九院」と言います。都率天の宝殿を模したもので、真言宗の都率天往生信仰と殯の習俗が結合したものと思われます。

古代の殯は遺体を小屋に安置して白骨化を持つ、いわば風葬でしたが、土葬になってその名残りが埋葬地にこうしたものを作らせたと思われます。火葬が普及するにつれ、こうした習俗は減少しています。

また、埋葬地に石を置き、その後ろに竹を突き刺すこともあります。これは死者が生き返ったときに息をつくためだとして「イキツキダケ」とよばれます。

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現在、主として利用されているのは「和型」と言われる三層構造の墓石で、江戸時代に生まれた形式です。最近ではこれに「洋型」と言われる形態が加わっており、部分的ですがオリジナル・デザインの墓石もあります。昔の形態をとどめる五輪塔も一部に見られます。

墓埋法によると、遺体または遺骨を納める場所は「墳墓」と「納骨堂」の2つに分類されます。

➊墳墓

「墳墓」とは個々のお墓のことです。墓埋法に、「墳墓」とは「死体を埋葬し、又は焼骨を埋蔵する施設」とあり、ここでいう「埋葬」とは「死体を土中に葬ること」つまり土葬のことを言いますから、土葬墓、火葬墓を総称して「墳墓」と規定されています。日本では現在火葬率が99.4%(2000年)ですが、土葬も法律的には認められています。

❷墓地

墳墓を設ける区域が「墓地」で、墓埋法では「墳墓を設けるために、墓地として都道府県知事の許可を受けた区域」と規定されています。(同法の第4条「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」)そのため、墳墓すなわちお墓は勝手に作ることは許されないと決められているのです。また、墓地経営は、事実上、自治体による公営化、財団法人、宗教法人のいずれかでないと認められません。

また、法律的に土葬が認められているとしても、現在では、一部の地域や信仰上の問題など特別な事情がある場合を除いて、土葬は現実的には困難になっています。

❷納骨堂

「納骨堂」とは「他人の委託をうけて焼骨を収蔵するために、納骨堂として都道府県知事の許可を受けた施設」(墓埋法第2条第6項)です。したがって、寺院、教会といった宗教施設でも、納骨堂の許可を得ていない施設では他人の遺骨を長期的に預かることが出来ません。但し、「他人の委託をうけて」とあるので自分の家族の遺骨を自宅に保管することは違法ではないと解釈されます。

 

○埋葬、改葬

➊埋葬、納骨には許可証が必要

お墓に遺体を埋葬するとき、遺骨を埋蔵するとき、あるいは、納骨堂に遺骨を収蔵する

(=預ける)ときには、死亡届を出した自治体で交付される火葬・埋葬許可証が必要です。

特に納骨の場合には、許可証に火葬済との証印を受けたものが必要で、この許可証を墓地または納骨堂の管理者に提出します。

❷改葬にも許可証が必要

「改葬」とは、いったん納めたお墓または納骨堂から遺骨を他のお墓または納骨堂に移動させることです。この際、遺骨が納められている地の市区町村から「改葬許可証」を受け、移動先の墓地または納骨堂の管理者に提出します。

❸分骨する場合

分骨する場合には、火葬場の管理者の発行する火葬証明書または主な遺骨の収められている墓地または納骨堂の管理者の発行する埋蔵(収蔵)証明書を得て、分骨を収める墓地または納骨堂の管理者へ提出します。

 

○墓地の分類

➊村落共有墓地

村落共有墓地は古くから村落が共有して保持していた墓地を追認したもので、新しく認められることは事実上ありません。

❷寺院境内墓地

寺院境内墓地は、最初に寺院の檀信徒になるという契約があり、檀信徒であるから墓地の使用が認められるという関係にありますので、檀信徒として寺の維持その他の義務を負います。

❸公営墓地

公営墓地は、自治体の条例その他で使用条件が定められ、使用権を取得するものです。

❹民営墓地

民営墓地は、管理者と使用者が対等な契約に基づいて使用権を取得するもので、財団法人や宗教法人などの公益法人が経営する墓地です。

 

○使用権

一般にお墓を取得することを「お墓を買う」と言いますが、厳密にいえば「墓地を使用する権利を取得する」ことです。墓地の土地は墓地の経営主体の所有物件で、利用者にその使用権があり、墓石は利用者の所有物件、となっています。お墓の建立にあたっては、使用権入手費用(一般に「永代使用料」という)、墓石建設費が必要で、このほか継続的に管理料が必要です。使用権の名称が「永代」となっていても、管理料の支払いが一定期間途絶え、承継する縁故者が不在のときは、使用権が消滅し、墓石は撤去され、遺骨などは無縁塔に合祀されます。

改葬するには、一般には、利用者が自ら墓石を処分し、更地にして墓地使用権を返還し、新たな移動先の墓地使用権を取得します。(使用権入手費用は原則として返還されません。)

 

〇お墓の承継

お墓の使用権者が死亡したとき、「お墓を継ぐ」必要がありますが、これを「墓の承継」と言います。お墓は民法に規定された「祭祀財産」という性格をもっており、その継承者は、本人が指定するか、そうでない場合には「慣習により」定め、最終的には家庭裁判所が決します。

子供がいないためお墓の継承者がいないというケースもでてきています。民営墓地では無縁化を避けるため、配偶者や直系のこどもの範囲であれば申請者に承継を認め、後から問題となったら裁判所に判断を委ねる方式をとるケースが増えています。

こうした社会的変化に対応して、永代供養墓(公営の場合「合葬墓」と言う)も出てきました。契約した一定期間は承継者がいなくても墓が存続し、その期間がすぎて承継者がいなければ定められた合祀墓(集合墓)に合祀するという方式が一般的です。また、最初から合祀する形態の永代供養墓もあります。

〇埋骨方法

お墓で、遺骨を納める部分を「カロート」と称しますが、お墓への遺骨の埋葬は、カロートに骨壺単位で納める方式と骨壺から遺骨を空ける方式とがあります。

〇散骨

近年マスコミの話題をなり、関心を深めているのが「散骨」です。遺骨を墓地または納骨堂に納めるのではなく、遺骨を粉末状にして、これを海や山などに撒く方式です。

法律的には、①原型をとどめないよう粉砕する、②他人が嫌がらない場所に撒く、③その他問題が生じないこと、というのが常識的解釈です。なお、散骨にみられるのは自然回帰志向で、墓地でありながら墓石や骨壺などの人工物を一切用いないで遺骨を埋め、花木を植える「樹木葬」なども現れ、注目を浴びています。

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仏壇・仏具

「仏壇」とは本来、寺院内に仏像(如来、菩薩など)を安置して礼拝をし、供物を捧げたりする、周囲より一段高くなった場所のことです。

中世まで仏壇、その後に「須弥壇」とよばれるようになります。仏教の宇宙観では、巨大な山「須弥山」が宇宙の中心をなし、そこに帝釈天が所在するとされていますが、須弥壇はこの須弥山をかたどったものと言われます。その代わりに、各家にあって本尊や位牌を安置する厨子または宮殿型のものを仏壇というようになりました。鎌倉時代以降、禅宗が広まると共に位牌が流行し、常設の位牌棚となり、位牌の安置所として仏壇が発生したと思われます。各家庭に仏壇が設けられるようになったのは江戸時代中期の寺檀制度確立以降のことです。

仏壇は家の祖先を祀る場であり、家の精神的結合の場であると言われ、単に一般的な先祖供養のためのものではありません。三十三回忌や五十回忌で弔い上げして先祖代々の位牌に合祀するまでは、死者個々の供養の場であり、さらに真宗教団では「お内仏」と言われるように勤行(ごんぎょう)の場でもあります。近年、悲しみにある遺族が仏壇をとおして死者と対話することは、その悲しみを癒していくのに有効であるとして、仏壇をグリーフワークの場として見直す動きもあります。キリスト教のカトリックにおいても仏壇の機能に着目して、「家庭祭壇」が作られています。

 

○仏壇の材料による分類

材料は木ですが、➊塗仏壇(金箔押仏壇、俗に金仏壇)と❷唐木仏壇に分けられます。また新しい仏壇として、合板、プラスティック、アルミなど新しい素材の仏壇(新仏壇)も登場しています。

➊塗仏壇

杉、松、檜などの木に漆塗り箔押し仕上げをし、飾り金具、蒔絵を施した仏壇で、江戸時代以降古くから用いられました。現在では主として浄土真宗で用いられています。京都、大阪、名古屋が産地として有名です。

❷唐木仏壇

歴史的には塗仏壇より新しく、江戸中期以降に大阪を中心に作られ、特に関東大震災後の仏壇需要をきっかけに低価格のものとして量産されました。紫檀、黒檀、檜、桜、松などの無垢材、練り材を用います。造作もシンプルで徳島、静岡、会津、東京、大阪が産地として有名です。

 

○宗派による仏壇の分類

明治時代以降、仏教の宗派が確立すると、本山様式が仏壇に取り入れられるようになり、さまざまな仏壇形式が発生しました。

➊八宗用

仏壇内の本尊、仏具は違いますが、仏壇の形が八宗(天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗)共通のものです。

❷お西用

浄土真宗本願寺派(お西)用の仏壇は、宮殿の屋根は八宗用と同じく千鳥・唐破風ですが、柱は金箔です。

❸お東用

真宗大谷派(お東)用は、宮殿は東本願寺阿弥陀堂を模し、屋根が二重唐破風で、柱は黒塗りです。

❹日蓮正宗

須弥壇の上に厨子を置き、厨子に開閉できる扉がついています。戦後に考案されたものです。

 

○各宗派の祀り方の特徴

➊天台宗

本尊は特別の指定はありませんが、菩提寺の本尊か阿弥陀如来を安置します。脇掛を祀る場合には向かって右に天台大師、左に伝教大姉(最澄)、中段の腋掛の下に位牌を、遠い祖先が向って右、近い祖先が左になるよう順に安置します。

❷真言宗

高野山真言宗では、本尊に大日如来、脇掛は右に弘法大師の絵像、左に不動明王の絵像を、豊山派では本尊に金剛界大日如来、右に光明曼陀羅を、智山派では本尊に金剛界大日如来、右に弘法大師、左に興教大師の絵像を安置します。

❸浄土宗

本尊は中央に阿弥陀如来(立像、座像、画像「南無阿弥陀仏」の名号)、右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩、また、脇掛は右に善導大師、左に和順大師(法然)とします。2段目に位牌を、向かって右に遠い祖先、左に近い祖先の順に安置します。宮殿の前に錦や金襴の戸帳を垂らし、前机などにかける打敷は四角形とします。

❹浄土真宗

本尊は阿弥陀如来(絵像、木像、六字名号「南無阿弥陀仏」)、脇掛は右に十字名号    「帰命尽十方無碍光如来」または親鸞聖人の絵像、左に九字名号「南無不可思議光如来」または蓮如上人絵像とします。但し、真宗仏光寺派は右に九字名号、左に十字名号と逆になります。位牌は安置せず、仏壇両側に法名軸を掛けます。

西(本願寺派)と東(大谷派)では一部仏具や位置に違いがあり、鶴亀の燭台は東(大谷派)で使用されます。

➎臨済宗

一般に本尊は釈迦牟尼仏、脇掛は右に達磨大師の絵像、左に観世音菩薩。中段中央に過去帳、その左右に位牌を安置します。

❻曹洞宗

本尊は釈迦牟尼仏ですが、一般に三尊仏(中央に釈迦牟尼仏、右に道元禅師、左に螢山禅師)の絵像とします。本尊の両脇に位牌を、遠い祖先を右に、近い祖先を左に順に安置し、過去帳は下段中央に置きます。

❼日蓮宗

本尊は大曼陀羅(または三宝尊)、その前に日蓮聖人像、脇掛は本尊が三宝尊の場合、右に大黒天、左に鬼子母神とします。日蓮聖人像の両脇に位牌を向かって右に遠い先祖、左に近い祖先の順に安置し、過去帳は下段中央に置きます。

 

○仏具

主な仏具について説明します。

➊三具足と五具足

基本的な仏具で、香炉、燭台、花立て(花瓶)からなります。三具足では、中央に香炉、向かって右に燭台、左に花立てを配します。五具足は、中央に香炉、その両側に燭台、さらにその外側に花立てを配します。燭台一対、花立て一対、香炉で五具足です。一般には三具足を、法事など正式なときには五具足を用います。

❷香炉

線香または抹香を焚くための道具で、耳つきの場合は耳が両側になるように、三つ脚の場合は脚の一本が手前にくるように置きます。

❸線香差し

線香を入れておくための容器を言います。

❹花立て

仏壇に供える花を生ける花瓶で、「華瓶」とも言います。

➎燭台

灯明、つまりロウソクを立てる道具です。

❻打敷(うちしき)

仏壇の前卓を飾る錦や金襴の敷物で、盆や法事など特別なときに用います。一般に長方形ですが、浄土真宗では三角形となります。

❼仏飯器(ぶっぱんき)

飯を盛る器で「仏器」とも言います。

❽茶湯器(ちゃとうき)

お茶を供えるための道具です。

❾高坏(たかつき)

菓子、果物などを供えるための器です。菓子、果物などを供えるときは半紙を敷いて供えます。

❿霊供膳(りょうくぜん/れいくぜん)

仏壇に供える小型の本膳。供えるときは箸が仏前にむくようにし、精進料理にします。浄土真宗にはありません。

⓫燈籠(とうろう)

仏壇の中を明るく照らす道具。「輪燈」や「吊燈籠」など吊り下げる形のものもあります。

⓬鈴(りん)

勤行のときに打つもので、打ち方は各宗派でそれぞれ定められています。鈴を打つ棒は鈴棒、鈴唄、鈴撥などと言います。

⓭香盒(こうごう)

抹香を入れる器で、香炉とセットにして使用されます。

⓮供笥(くげ)

餅、菓子などの供物を載せる道具。餅、菓子などを盛る道具にはこの他「三方」「段盛」などがあります。

 

○数珠

数珠は、珠を使って念仏を唱える回数を数えることから発生しました。珠の数は108個となっており、そこから(2分の1の)54個、(4分の1の)27個、(6分の1の)18個といったものも作られました。「数珠」「誦数」「念珠」とも言います。宗派によりその形は異なりますが、「八宗用」と言われるものもあり、これは真言宗用が基本になっています。

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戒名(法名・法号)

〇戒名とは

「戒名」とは、仏教教団に入り戒律を守ることを誓った者に与えられる名前のことです。本来は戒を授けられ出家した僧にのみ与えられるものでしたが、出家しない在家の檀信徒も授戒会に加わって戒を受けることにより、仏法に帰依したものとして戒名を与えられるようになりました。本来戒名は、生前に入信して与えられるべきものですが、死者の場合でも生きている者として扱い、しばしば通夜に授戒が行われます。これは「没後作僧」と言い、亡くなった人を仏の弟子にして浄土に送るということを表します。授戒は引導と共に葬儀儀礼の中心をなすものとして位置づけられています。近年、「戒名料」が問題とされたこともあり、多くの教団では、できるだけ生前に授戒会などに出て戒名を得ておくことを勧めています。

浄土真宗は在家道で教養にも戒律や授戒はなく、聞法者という意味をこめて「法名」と言います。仏法に帰依した者が授かる名前で、「帰敬式」(「おかみぞり」ともいう)を受けていただくものとされています。

日蓮宗は「法華経に帰依することが持戒にまさる」ということで葬儀式に授戒という作法はありません。「信仰に入った証」ということで「法号」が与えられます。本来は生前にあたえられるものですが、亡くなった後に授与されることが多いようです。

戒名(法名、法号)は、身分制の時代を背景に発達しましたので、戒名が身分を表すことも多かったのですが、近年は寺院、社会への貢献度、信仰の深浅、人徳などを住職が判断してつけるものとされています。しかし、戦後、特に高度経済成長期以降、寄進する金額の多寡によって位の高い戒名が買えるという風潮が出て、「戒名料」なる言葉も一般化するなど批判の対象となる現象も起きています。

 

〇戒名(法名)の構成

戒名は本来2字で、中世までは貴人といえども2字であったといわれます。今では本来の戒名である法号の上に道号(または宗派戒名)、さらにその上に院号がつけられ、法号の下に位号がつくという構成になっています。

○○院 △△ □□ 居士(大姉)

院号  道号  法号   居号

➊院号

最上級の尊称と言われるものに院号(〇〇院)、院殿号(〇〇院殿)があります。かつては一寺を建立するほど貢献した人に与えられる尊称で、皇室や摂関家に対して〇〇院が、またこれと区別するため武家に院殿が与えられました。特に本家の主人のみにつけたとされます。院号より院殿号を上位とする慣習は、大名家に院殿をつけるようになった江戸期に生まれたとされます。

❷道号

道号は元々、仏道に励み、これを究めた者への出世の称号で、住職などに与えられたものといわれます。ここの位置に宗派名が入ることがあります。

❸法号

本来の戒名(法名、法号)です。

❹位号

位階や性別を表すものです。成人(15歳以上)の場合、一般に伸心の厚い者を信士・信女に、より清浄な者を清信士・清信女に、仏門に入り剃髪染衣した者を禅定門・禅定尼に、四徳を供えた篤信の信者を居士・大姉に、より上位を大居士・清大姉に、とします。

子どもの場合、死産児に水子、乳飲み子に嬰児(嬰子)・嬰女、就学前の子ども(特に2~3歳)に孩児(孩子)・孩女、15歳未満の子供に童子・童女、善童女・善童女とすることが一般的なようです。就学前の子どもは乳幼児を含め幼児・幼女とすることもあります。子どもの場合には院号、道号はつけないのが一般的です。

浄土真宗では、明治時代以降、宗門護持、念仏相続に尽力した人への賞典として広く院号が贈られています。また、道号、位号はなく、男性の場合は「釈(釋)□□」、女性の場合は「釈(釋)尼□□」とされていましたが、近年は性差なく統一される傾向にあります。「釈」とは釈尊の弟子であることを表しているとされます。

日蓮宗では、一般の場合でも院号があたえられますが、位号は信士・信女が多く、居士、大姉、大居士、清大姉は特別に貢献度の高い人にのみあたえられます。

 

〇宗派による戒名(法名)の違い

宗派による戒名のつけ方には一般的な特徴として次のことがあります。

➊真言宗

位牌に戒名を書くとき、戒名の上に梵字でアの字を、子どもの場合は梵字でカの字を書きます。「ア」は大日如来の悟りに帰入すること、「カ」は地蔵菩薩の導きに従うことを示します。

❷浄土宗

五重相伝(教えを5つの段階に分けて伝える法会)を受けた者には院号と道号の間に誉号をつけ、〇〇院△誉△△□□居士(大姉)のようになります。

但し西山浄土宗の場合は、授戒を受けた者には空号が、さらに五重相伝を受けた者に道号がつき、〇〇院△空△△□□居士(大姉)のようになります。

❸浄土真宗

法名の前に男性は「釈(釋)」、女性は「釈(釋)尼」がつきます。近年、女性に「尼」をつけるのは差別だとして、「釈尼」をやめ全て「釈」とする風潮も出ています。

[男]〇〇院釈□□、[女]〇〇院釈(尼)□□

❹時宗

男性には阿号、女性には弌号が使われます。

➎臨済宗

院号に次ぐものとして庵号、斎号、軒号が使われることがあります。また、位号に禅定門、禅定尼、大禅定門、大禅定尼がつくのは臨済宗に多いと言われます。

❻曹洞宗

熟字でまとめられている場合が多いようです。特に道号と法号の4字は経典、祖録、漢詩を参照し、対句で熟字としています。

❼日蓮宗

法号に「日」の字が入り、多くの場合道号に男性は「法」、女性は「妙」がつきます。

[男]〇〇院法△日□信士、[女]〇〇院妙△日□信女

〇頭の文字、置字

位牌に戒名を書く場合、その上下に文字を足すことがあります。

戒名の頭の文字としては、「新帰元」「新円寂」「帰真」などとつけることがあります。これは新しく仏になったことを意味し、葬儀の際の白木の位牌にのみつけます。

また、戒名の下に置字として「霊位」「位」とかくことがありますが、浄土宗、浄土真宗などでは用いません。

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葬具

今はほとんど見られなくなった葬列ですが、葬具には葬列で使われたものも多く、これが変形して現在の葬儀で用いられていることがあります。その1つが宮型霊柩車です。この屋根の先頭に龍の頭がついているデザインのものもありますが、これは葬列で使われた「龍頭」をならったものと思われます。

➊松明(タイマツ)

葬列の先頭に立ったのが松明で、サキダイマツ(先松明)と言われます。照明の役割の他に、墓火を焚くための大切なものだとの説もあります。また、火をつけない松明もありますが、これは箒の変形で、葬列の道を清める役割もあったと推測されています。

❷箒(ホウキ)

箒は出棺した後の式場を掃除し清めるためにも用いますが、葬列にも加わりました。塵やゴミを掃き清めることから、目に見えない悪霊を祓うための呪具として用いられたものと推測されています。

❸四本幡(シホンハタ)

4本の幡(旗)をまとめて並べる場合と、柩の前に2本、後ろに2本と分けて並べる場合などがあります。幡には梵字(古代インドで使用された文字)を書いたり、「諸行無常」「是生滅法」などの偈文(仏教の教えを簡潔に述べた詩)を書いたりしました。柩の四方や墓の四方に立てたとも言われ、墓を結界する(魔物が入ってこないように境界を区切る)と共に死者の滅罪に効果があると信じられたものです。

❹天蓋(テンガイ)

寺院には、僧侶の座る席の上に立派な天蓋がありますが、葬列では布製や紙製がほとんどでした。天蓋は柩のうえにかざし、死者の滅罪を願い、極楽往生することを願ったものと言われています。

❺龍頭(タツガシラ)

竹竿の先に龍の頭をかたどったものをつけたものです。龍の口の下に天蓋を下げたものや魂を入れる紙袋を下げたようなものもありました。死者の霊が荒らぶる魂であることを示したという解釈と、死者の霊が龍のように昇天することを願ったとする解釈があります。

❻六道(ロクドウ)

篠竹に小ロウソクを6本立てたものを言い、元は葬列の先頭の案内の灯明だったと思われます。死者は生前の行いによって六道のいずれかに行くとされ、たとえいずれに行っても六地蔵に助けてもらおうという地蔵信仰が六道ロウソクになったと思われます。今、祭壇の上部両側に6本灯明(六灯)が飾られるのは六道の名残です。

 

 

位牌は、仏教葬儀で死者の霊を祀るために使われる木製の牌で、「霊牌」とも言います。元来、儒葬で使われた「木主」や民俗信仰の「霊代」から生まれたものと言われ、死者の霊が宿る依代でした。

表には戒名(法名、法号)が書かれ、裏には俗名(生前名、本名)と死亡時年齢(享年、通常は数えで)、死亡年月日などが書かれます。

一般に四十九日までは白木の位牌を用いますが、これを「内位牌」「仮位牌」とも言います。この期間は仏壇ではなく中陰壇に置かれるのが一般的です。また、内位牌とは別に白木の「野位牌」が作られ、埋葬地に置かれることもあります。忌明と共に内位牌は寺に納め、野位牌は墓に埋めたり、焼いたりします。忌明以降は塗位牌を仏壇に納めます。

この他に集合型の「繰り出し位牌」があります。これは年忌法要に便利なように、故人の戒名などを記した板を祥月命日の順に並べて一基の位牌とするものです。(故人一人に一基の位牌を「札位牌」という)

札位牌や繰り出し位牌の板は、三十三回忌あるいは五十回忌をもって弔い上げとし、その後は先祖代々の位牌に合祀されるのが一般的です。

生前に戒名(法名、法号)をもらい、位牌や墓石に朱書きしておくことを「逆修」あるいは「預修」と言い、この位牌を「逆修牌」あるいは「寿牌」と言います。(故人の位牌は「順修牌」という)

浄土真宗の場合には、死者を礼拝の対象にしないため、原則として位牌を用いませんが、地方により葬儀のときに限って白木の位牌を用いることがあります。その場合でも本尊と並べたり、前に置いてはいけないとされています。浄土真宗で位牌の代わりに用いられるのが「法名軸」という掛け軸形式のもので、そこに法名を記して仏壇の側面にかけます。法名軸には、順次法名を記載していく合幅のものや、過去帳にして仏壇の中段横に置くものがあります。

 

本尊は葬具ではありません。本来は僧侶が持参するか、寺から都度借用するか、あるいは仏壇の本尊を用います。現在では、葬祭業者が用意しておくことも増えています。

➊三具足(みつぐそく)

「具足」とは道具の意味です。法要などで仏前を荘厳する基本的な道具です。香炉を中央に、向かって右に燭台、左に花立て(花瓶)を配します。寺院などでは法要では五具足を正式とします。このときは香炉を中央に、その両側に燭台を対に、両外側に花立てを対に配します。但し、葬儀は臨時の祭りという性格から三具足が一般に用いられます。

❷四華花(しかばな)

白紙または銀紙に刻み目を入れ、棒に螺旋状に巻き4本一組にして作る造花のことです。通常は祭壇最上段の両脇に配します。釈尊が亡くなったとき、沙羅双樹林が悲しみ白変し遺体を覆ったという故事にちなみます。シカバナ、シカと呼ばれ、四花、四華、死花、紙花とも書きます。

❸樒(しきみ)

仏花と言われ、もくれん科の常緑小高木で榊と同じく香花です。末期の水で樒の葉が用いられ、枕飾りでは1本樒が用いられます。戦前は神葬祭の榊同様に祭壇の両サイドに供えられました。中部、関西、四国などでは花環の代わりに供花として樒を挿して用います。

❹六灯(ろくちょう)

祭壇に置かれる6個の灯のこと。六道にちなみます。かつて夜に葬列のあった時代に葬列の先頭に立ち、辻々を照らした6個の明かりをロクドウと称した名残です。

❺春日燈籠(かすがとうろう)

昭和40年代まではよく用いられました。祭壇上部に四華花の内側に置かれました(中央が位牌輿)。奈良の春日神社の燈籠を模したものです。

❻蓮華(れんげ)

明治中期に誕生したと思われ、元は仏堂の金の蓮華を模したものです。蓮の花をデザインした紙型に金色に彩色したものを金蓮、銀色に彩色ものを銀蓮、その他、さまざまな色に彩色して用いられました。

❼鈴(りん)、鉦(かね)

仏具の1つ。読経時に用いる音を鳴らすものです。

❽前机(まえづくえ)

仏前に置かれる机のこと。前卓とも言います。前机が発達して祭壇になったとも言われます。枕飾りで用いるのは枕机と言います。

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葬儀・告別式

古くは、自宅での出棺の儀礼後、葬列(野辺の送り)を組んで葬場に行き、葬儀式を行い、火葬または土葬をしたというのが一般的であったと思われます。葬列がなくなって、自宅での儀礼と葬場での儀礼が一体化したことにより、現在の葬儀・告別式が誕生しました。

葬儀(葬儀式)は死者をこの世からあの世に引き渡す宗教的な儀礼であり、告別式は会葬者が遺族に慰めの言葉を寄せ、一人一人焼香または献花して死者に別れを告げる儀式です。したがって、葬儀式は宗教儀礼であり、告別式は社会儀礼であると位置づけることが可能でしょう。

ところが、現代にあっては参列者が忙しい、火葬の時刻が定まっているなどの理由から、葬儀式と告別式の同時進行が一般的となりました。葬儀式の最中に会葬者による告別の焼香が行われるようになり、告別式の位置づけが強まり、逆に葬儀式の位置づけは弱まる傾向にあります。社会儀礼としての告別式の位置が高まることにより、遺族が会葬者への答礼に忙しくしていることが多いことで、「何のための葬儀か」という批判も起きるようになっており、葬儀式と告別式のあり方については再考を要する時期にきています。葬儀式と告別式の機能の違いを充分に配慮したいものです。

そのなかで、大規模葬儀に見られる「密葬-本葬」方式、最近流行の「密葬-お別れ会(偲ぶ会)」方式は、機能から見れば葬儀式と告別式を分離して行おうとするものと理解できます。

 

〇葬儀・告別式の流れ

仏教式の葬儀・告別式の一般的な流れを以下に示します。

①一同着席

⓶導師入場・開式

③葬式作法(読経、引導)

④式辞・弔辞

⑤焼香・読経

⑥導師退場・閉式

⑦一同退場

➇お別れの儀※骨葬では行われません

⑨棺搬出※骨葬では行われません

⑩遺族代表挨拶

⑪出棺(霊柩車出発)※骨葬では遺骨の見送り

①~③(あるいは④)までが葬儀式部分、④(または⑤)~⑦が告別式部分です。葬儀式と告別式は多くの場合は同時並行で進行されがちです。③の儀式作法が行われている最中に時間節約のため焼香が行われることがありますが、できれば避けたいものです。④の式辞・弔辞は自宅葬などの場合には省略されることもあります。式辞は、弔詞、式文とも言いますが、葬儀委員長による故人への弔いの表明です。導師が式辞を述べる場合もあります。また、弔電が紹介されるのはこの後です。⑧のお別れの儀は、遺族・関係者が棺を開け、花などを入れるなどして遺体と最後のお別れをします。

⑩の遺族代表挨拶は、出棺を前にして会葬者にお礼の挨拶をすることです。すでに火葬を済ませている場合などには、遺族代表挨拶を⑤または⑥に引き続いて行い、遺骨退場を見送って散会することもあります。葬儀委員長による挨拶を遺族代表挨拶に代えるところもあります。

焼香は遺族焼香に引き続き参列者焼香、一般焼香の順に行います。遺族焼香、参列者焼香を指名で行うことがあり、これを「指名焼香」「呼名焼香」と言います。式場前に設けられた焼香所で開式前から一般焼香を受け付け、会葬者は焼香を終え次第、出棺を見送らずに帰路につく地域もあります。これは一般弔問を別に受け付けていると考えるのが適当でしょう。一般会葬者、火葬場まではいけない葬儀参列者は出棺の見送りまで行うのが一般的です。

開式に先立ち、または閉式後、僧侶、遺族が式場に入場(退場)する際に略式の葬列を組むことがあります。僧侶を先頭に位牌、柩または遺骨、遺族の順に入場(退場)するのが一般的です。

 

〇葬儀・告別式の準備

①受付の設定、門標、会葬御礼品(粗供養)、花環(または樒)や生花の準備をします。

⓶門前、式場、祭壇の掃除をします。

開式1時間半前までに①、⓶の作業を終えるようにします。

③遺族・関係者と最後の確認を行います。

1.当日の日程、時刻の確認

2.弔辞の確認

3.弔電の扱い方

4.焼香順位、名前を呼ぶ場合には肩書き、名前の読み方の確認

5.供物、供花の扱い方、配置順の確認

6.席順の確認

7.火葬場同行者の人数、車の確認

8.会葬礼状、会葬返礼品の内容、数の最終確認

9.役割の確認(会葬者への答礼、受付、案内、車、警備など)

10.葬儀後の会食の確認

11.その他(心づけの扱いなど)

④僧侶など式執行にあたる宗教者との打ち合わせを行います。

1.飾りつけの確認

2.式進行の確認

3.当日の日程表(時刻表)の確認

4.その他注意すべきことの確認

⑤式辞・弔辞を述べる人と打ち合わせします。

1.紹介する肩書き、名前の確認

2.時間の確認(1人が話す時間は3分が原則、400字詰め原稿用紙にすると2枚程度。前後の移動時間を入れると合計5分)

3.動線、動作の確認

⑥霊柩車、マイクロバス、ハイヤーの再確認を行います。

⑦料理の手配の再確認をします。

⑧音響装置その他の設備の確認をします。

⑨現場の点検を行い、準備に問題がないか最終確認をします。

1.計画通りに準備ができているか

2.天候などの関係で補う点はないか

3.危惧される点がないか

 

供花は、全国的には花環または生花、中部・関西地方などでは花環の代わりに樒(しきみ/しきび)が用いられます。関係者から供花の申し出がありますが、この扱いについては事前の確認が必要です。供花や供物を辞退するという遺族もいますから、供花をそもそも受け付けるのか、受けた場合の生花の種類、贈り手の名前の表示など、事前に確認しておく必要があります。式場によっては置き場所の制限もあります。

生花や花環などの供花の配列順はしばしば問題になります。勝手に判断しないで遺族の考えに従って行うことが必要です。最近では、芳名板にアイウエオ順で贈った人の名を一括して提示する方法がとられることもあります。また、生花代金を祭壇や式場内外の装飾花の作成費用にあて、供花してくれた人の名は芳名板に一括して記す方法を採用することもあります。

最近は、生花祭壇のデザインはもとより供花の生花のデザインに対しても消費者の感覚が鋭くなってきています。葬祭業者および協力する生花業者はデザインの研鑚に励む必要があります。「なまもの」の樒や生花は売り切りですが、花環は造花ですから、最近は売り切りではなくレンタルが多くなっています。

 

戦後、高度経済成長の波に合わせるように葬儀・告別式の演出も多様に行われるようになり、またそれに対して消費者や宗教者からさまざまな意見が出るようになりました。

音楽の使用は一般化しています。開式前、弔辞や一般焼香の場面、出棺などで使用され、専用のCDも販売されています。また、故人の人となりを知らせるために、ナレーションテープやビデオも使用されます。故人の趣味である詩歌、音曲の使用を希望されることもあります。柩退場時にスモークや照明を用いる、出棺の際に鳩を飛ばす、など演出方法も多彩です。葬儀の演出については、さまざまな考えがあります。けっして押しつけるのではなく、よく説明し、遺族の意見、寺院等の意見をよく聞いたうえで行う必要があります。特に葬儀式は宗教儀礼として厳粛に行う必要があり、寺院等の意見を必ず聴取する必要があります。

 

出棺に先立って、遺族・関係者による遺体との最後の対面が行われます。この場面は最後の別れのときであり、遺族の愛惜の気持ちが露出し、動揺するときですから、その気持ちに配慮して慎重に対応しなければなりません。急がせられたという印象を与えないように注意する必要があると同時に、切り上げる時を明確にする必要もあります。

棺にいれる生花は「別れ花」とも言われます。通常は飾られていた生花を入れやすいように小さく分け、おぼんに載せて準備し、係員が遺族・関係者に手渡しします。

棺の蓋をした後、釘打ちをすることがあります。昔は蓋が外れて遺体が外に出ないように縄で縛りましたが、いつの頃からか蓋を釘で止め、それに遺族が参加して小石で釘を打つという習俗ができました。死霊が外に出ないように封じるという死霊に対する恐怖感のなせるものであったと同時に、また、石には呪力があると信じられたことから死者を悪霊から守るために行うとも考えられています。遺族自ら釘を打つことで死者の蘇生を断念するという意味もあったでしょう。しかし、遺族の心理を考えると釘打ちをすべきでないとする意見もあります。釘打ちをする場合には、葬祭業者がまず金槌で半分打ち、その後遺族が血縁の順に小石で軽く2回ずつ打ち、最後に業者が金槌で封じるのが一般的です。

 

葬儀・告別式の後に出棺して火葬するという順番が一般的ですが、葬儀・告別式に先立って火葬する習慣の地域もあります。東北地方を中心にして全国各地に散在しています。葬儀・告別式に先立って火葬することを「骨葬」と称しています。

骨葬地域では、本通夜に先立って火葬する地域もあります。午前中に出棺して火葬に付し、午後から葬儀・告別式を行い、その後菩提寺に行き納骨(埋骨)するのが一般的ですが、葬儀・告別式で遺体との別れができないから変えようという動きがあったり、遺族の考えも変わる要素になります。

また、山梨や長野の骨葬地域の一部では、葬儀式に先立って一般会葬者による告別式が行われることがあります。これは一般会葬者を待たせないこと、葬儀式の参列者は終了後ほぼ全員が法要とその後の会食(お斎)に向かうという実用性から生まれたものです。

 

出棺の際、遺族代表による挨拶が行われます。一部の地域において、葬祭業者が挨拶を代行しその泣かせる技を競ったこともありましたが、望ましいことではありません。喪主あるいは遺族の一員に、短くとも自分の言葉で挨拶するようアドバイスするのがよいでしょう。 出棺の際に位牌を手にするのは伝統的に喪主の役割とされています。

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通夜

通夜とは古代の殯(もがり)の遺習であるとか、臨終の際の看病の延長にあるものであるといわれます。夜伽(よとぎ)とも言われ、夜を徹して死者をみまもり、枕元でお経が読まれ、念仏が唱えられました。

死とは法律的には「心停止」という<点>ですが、遺族や身近な人たちにとってはすぐ受け入れられることではありません。そこで、夜を徹して死者の枕元に侍り、生きていると同じように仕えます。ある意味では、死者と最後に過ごす大切な時間であると言えます。

遺族にとって死者はまだ完全な死者として認められた存在ではなく、生と死の境界線上にあって気持ちが揺れ動き、矛盾に満ちた状態にあります。こうした遺族の心情を大切にして通夜を過ごしたいものです。遺族が亡くなった方を囲んでお別れのための充分な時間をもつということは通夜の大切な機能なのです。

 

親族も地元にいるとは限らず、また、いろいろな人に連絡する都合もあって、死の当日は「仮通夜」と称して家族で死者を見守り、葬儀・告別式の前日を「本通夜」とするケースが多く見られます。(本)通夜は夜の6時~7時の1時間程度を僧侶の読経と弔問客による焼香にあて、終了後弔問客に対して「通夜振る舞い」の酒や食事を供し、1~2時間で順次散会、後は遺族や身近な者だけで死者を見守る、というのが一般的です。

近年は、仕事の都合から、夜間の弔問が便利ということで、通夜の参列者が告別式の参列者より多くなるという傾向がありますが、通夜の本来の意味を失わないように注意したいものです。

キリスト教のプロテスタントでは、通夜は「前夜式」と呼ばれ、礼拝が行われます。カトリック、プロテスタントともに、派手な「通夜振る舞い」は避ける傾向にあります。宗教、地域の習慣の違いにも注意しましょう。

現代の通夜が夜間の告別式のようになったとしても、最も大切なことは遺族や身近な人が死者と共に過ごす最後の時間であるということには変わりはありません。遺族は長い看病により肉体的にも疲れていることに加えて精神的にも打撃を受けていることを心に留める必要があります。

僧侶は読経の後、法話をし、仏教の教えにおいて生と死はどう考えるべきかを説き、遺族への慰めをします。また、通夜の席ではしばしば戒名が与えられます。その場合には白木の位牌、和紙、硯、筆(新しいもの)を用意しておきます。

〇通夜の準備

1. 飾りつけの確認をします。

2. 受付、案内、供養品渡し、料理の手配、などの役割を確認します

3. 遺族その他の着席場所を確認しておきます。

4. 夜間ですから照明も含めた案内の確認をします。

5. 宗教者と進行を確認しておきます。

通夜は歴史的にも変化してきたものですし、地域によっても営まれ方が異なりますが、仏教式の一般的な法要の進め方を以下に示します。

1. 時間がきたら遺族、関係者は着席します。

2. 導師が着席し、読経が行われます。

3. 導師の指示により、遺族・関係者の焼香、弔問客の焼香が行われます。遺族・関係者の焼香は回し焼香で行われることもあります。

4. 導師による法話が行われます。

5. 遺族代表が挨拶し、通夜振る舞いの案内をします。

6. 通夜振る舞いを行い、弔問客は自由に散会します。

7. 最後は遺族・関係者のみによって遺体を守ります。(灯明、香は絶やさないようにします。)

<注意点>

1. 式場の広さを確認し、棺の前に座る人を確認します。関係者だけで営むときには順次座ってもらっていいでしょうが、弔問客が多いときには会葬者の待機する場所、中に誰に座ってもらうか、などを事前に確認しておきます。

2. スペースの関係もありますから、通夜振る舞いの席に弔問客全員を案内するのか、関係者だけにするのか、確認しておきます。葬儀費用の見込み違いに「接待費用が思いがけなくかかった」ことがよくあげられます。事前に方針をきちんと確認しておく必要があります。

3. 遺族の心身の疲労もあるので、通夜振る舞いの終了時間を予め確認しておき、自然に終わりにもっていくよう配慮します。

4. 片づけ、整理を行い、遺族・関係者の方に過ごしていただく場所の設定を行います。

5. 翌日の確認を行います。通夜の弔問客の様子から火葬場への同行者の数、マイクロバス、料理、焼香順位、弔辞などに変更がないかどうかを確認します。

 

通夜振る舞いにもさまざまな形があります。酒食を供するのではなく、弔問客にお菓子をもって帰ってもらうもの、お茶だけを供するところ、食事券(寿司屋などの)を渡すものなど地方により異なります。食事を供する場合には、人数がその場にならないとわからないので、弁当などよりは盛り合わせ料理のほうが適しています。

 

また、通夜は遺族中心のものですから、葬儀業者は設営・飾りつけだけで、立ち会わない、というところもあります。しかし、通夜の時点では遺族も精神的に不安が多い時期ですから、側にいて相談にのってあげられる態勢は必要です。近年、通夜の弔問客が増える傾向もあり、葬儀習慣をよく知らない人も多くなっていますので、葬祭業者が通夜のお世話をする必要度は高まる傾向にあります。

 

通夜と葬儀・告別式との境がなくなってきたことと、礼服マナーが説かれるようになったことから、戦後(特に昭和50年代以降)になって通夜における黒服着用が一般化してきたという経緯があります。しかし、黒服は「喪服」(喪に服すときに着用する着物)として着用するものですから、生と死の境界線上に位置付けられる通夜では喪服の着用はふさわしくないとする考えもあります。特に弔問客の場合には、黒服着用は必要なく、派手でなく、きちんとした服装であれば問題はありません。

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現在の葬儀事情

 

戦後、全国的に葬列がほとんど姿を消し、告別式中心の葬儀に移行していきます。葬儀が通夜と告別式の2日間に集中、短縮され、初七日法要も葬儀・告別式当日に繰り上げて行われることが一般的になりました。さらに会葬者に迷惑をかけられないなどを理由に、葬儀・告別式を1時間内で行うことが一般化しました。

会葬者は会社を休んでの日中の弔問より就業後の夜間の弔問が便利とあって、告別式よりも通夜に訪れることが多くなる傾向にあります。家族・近親者は仮通夜を先に行って、弔問を受けるものを本通夜とし、祭壇も設営して葬儀・告別式と近い形で営むようになりました。

平成13年以降の不況の影響もあり、葬儀の小型化、密葬化もすすみます。葬儀に対するコミュニティの関わりも弱くなり、葬儀の個人化傾向としてその人らしい葬儀への関心の高まり、「お別れ会」方式の葬儀が出現するなど多様化が進んでいます。

また、中陰の7日ごとの法要は省略され、四十九日の法要のみに簡略化される傾向にもあります。

 

現在、葬儀の環境を大きく変えているのは斎場(葬儀会館)です。元来は葬儀の場所は自宅または寺が主でしたが、戦後の家の構造変化や式場環境の快適化などから斎場を望む声が大きくなりました。今では葬祭業者による民間斎場が大幅に増加しています。式場だけでなく、遺族控室、会食室、仮眠設備、駐車設備を整えているのが一般的です。自宅や倉庫改造タイプの小型のものから数十億円をかけた大型のホテルタイプのものまであります。お別れ会や法事利用へ積極的な営業姿勢を見せています。

 

葬儀の場所が斎場に移ったことにより、葬祭業者にはよりきめの細かいサービス、対応が要求されるようになりました。これに伴い、葬祭業の業態も設営、式運営から、遺族のケアも含めた葬儀期間全体にわたるものに変化しつつあります。

そのため、地域で斎場競争が生じるところも多く、斎場建設に経営悪化も見られるようになります。斎場を保有しない場合は、専門的知識・技能およびソフトによる特化を図る必要がでてくるなど、いっそうの経済努力が葬祭業者に求められる時代になりました。

 

昭和63年前後より、湯灌専門業者の誕生や、遺体の消毒・防腐・復元・化粧の技術であるエンバーミング(遺体衛生保全)により、新しい遺体処理が注目を集めています。その他、遺体処理を専門にする納棺師や死化粧なども登場しています。

 

平成2年前後より葬儀の個性化を求める動きも出てくるようになりました。さらに 平成4年以降、報道などから社会の葬儀に対するタブー意識が薄れ、葬儀費用明確化の要望や葬儀の内容への注文、さらには事前相談も増えてきました。行政による消費者向けの葬儀関連セミナーも増加しています。組合などでは、個別業者による相談コーナーの設置や生前予約に関するさまざまなサービスも行われています。地域共同体が主体であった葬儀から、次第に葬祭業者に運営まで任せるよう移行していく中で、葬祭業者のサービスの質の向上が図られています。

しかし、業者依存が進むと、「地域の文化」としてあった葬儀文化は「葬祭業者の文化」になりつつありました。葬儀への批判は「業者主導で営まれる」と葬儀業者に向けられるようになりました。葬祭業者に課せられる葬儀への責任が重くなり、サービスの量的、質的充実など対話を通じて理解を得ていくことがいっそう求められるようになっています。そうして地域の意向を重視していたものが、次第に家族・親族の意向重視に、そして最近では家族・本人の意向重視に変わってきており、葬儀への希望の多様化が進んでいます。

 

平成11年、全葬連は、全国大会で「生活者への宣言」を採択しました。葬祭業者の仕事とは、グリーフ(死別の悲嘆)の中にある遺族を、希望にそって支援することであるとしたのです。

平成13年の消費者契約法で、①事前相談の受け付け、②明朗な価格表示、③ご遺族の想いを大切に、④情報の提供と助言、⑤葬儀の選択・決定権、⑥疑問・不安点への対処、⑦常に改善に努力、➇アフターケアの提供、⑨責任ある対応、⑩信頼される葬儀社に、という10項目を葬儀社の仕事の内容・姿勢として明らかにしました。こうして、葬具提供業・式場設営業・式典運営業から、個別遺族への総合的なサービスを提供する業であると、社会に発信しました。

 

平成4年以降の「葬儀ブーム」に先行して、昭和60年前後より始まった「死のブーム」があります。「死」は、社会的なタブーとしてありましたが、高齢化が進んで終末医療(ターミナルケア)への関心が高まると、治療優先主義の医療への批判がでるようになりました。病気の最終段階において、患者本人の生活を犠牲にするのではなく、患者の「生命」「生活」の質(クオリティ・オブ・ライフ、QOL)を尊重した「ケア」が大切だとする批判です。

「死に方」は医者に決定権があるのではなく、患者本人に決定権があるべきだとする「死の自己決定権」の主張です。また医療情報の本人への開示と治療方法への同意(インフォームド・コンセント)が重要との認識が社会的に共有されつつあります。これにより「尊厳死」への関心も高まりを見せています。こうした「死のブーム」によって葬儀への関心の高まり、葬儀や墓に本人の意向を優先して生かすべきだとする「死後の自己決定権」が提唱されるようになりました。

 

戦後民法の改正により家制度が変わり、核家族化・少子化の進行もあり檀家制度は弱くなりました。それまで仏教葬の割合は9割以上を占めていたものの、寺院離れにより儀式のためだけの仏教寺院依頼が増えていきます。戒名および戒名料への批判もあり、近年では「お別れ会」「偲ぶ会」といった無宗教葬も見られるようになりました。

 

お墓も変化の中にあります。昭和35年以降、核家族化により都市圏で墓地需要が増え、公営霊園だけでなく、民間の霊園開発も行われました。その一方で、地方の寺院墓地が過疎化の影響を受けるといったような、対照的な様相を呈するようになりました。

また、「家墓」形態は核家族・少子化が進むことにより無縁化を招き、承継の問題が問われるようになりました。男子あるいは長子承継の墓地運営規則も見直され、両家墓(結婚した女子が承継のため2つの家名を並べる)や家名を刻まず「愛」「夢」などの言葉を刻む墓(=無家名墓)、あるいは承継者がいなくてもよい墓(永代供養墓)、30年、50年と期限のある有期限墓地、合葬墓や大規模納骨堂と多彩な墓が登場しています

さらに、都市における墓地開発の環境の面から、遺骨を墓や納骨堂に納めないで散骨する自然葬や海洋葬なども登場しています。しかし、墓埋法などが前提としていないケースだけに、法制化の必要なしとする意見と、住民から法制化すべきとの意見に分かれています。平成11年には山林環境を保護するため墓石などの人工物を一切用いない樹木葬墓地も誕生しました。高齢社会が本格化する中で、葬儀と墓をめぐる環境は大きく変化しつつあると言えます。

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戦後の葬儀

昭和20年に第二次世界大戦は日本の敗戦で終結しますが、戦争終結直後の数年は物資不足、インフレで国民生活は混乱しました。しかし、その後の朝鮮戦争の特需景気もあり、日本経済は次第に立ち直り、葬儀も復興し変化していくことになります。

 

戦後の変化の一つは、祭壇や葬具です。昭和28年前後に祭壇、棺、繊維などの葬具製造・販売業者が続々と誕生します。それまでは葬祭業者が自分で製作していましたが、仕入れて使用するようになり、地方特有の葬具は姿を消してバラエティに富んだ商品開発が盛んになっていきます。高度経済成長に合わせるように蛍光灯使用祭壇などが使用されるようになり、昭和35年以降は「葬儀=祭壇」とも言うべき図式が成立するまでになりました。

 

昭和20年代後半は「虚礼廃止」の名の下で自粛、制限が申し合わされ、自治体による公営葬儀も登場しました。貧富の格差も大きかったという事情が背景にあったようですが、   葬祭業者にとっては打撃となることで、各地で反対運動が展開されると共に、これを一つの契機として昭和31年に全日本葬祭業組合連合会が誕生します。発足時の全葬連への加入組合数は13、構成した業者数は851でした。現在葬儀の全国シェアの3割以上を占めるにいたった冠婚葬祭互助会が誕生したのは、戦争終結後間もない混乱期の昭和23年のことです。

横須賀の西村葬儀社が、蓄えもなく満足に結婚式や葬式をあげられない当時の事情を考慮して開始した横須賀市冠婚葬祭互助会がその最初です。当時の普通会員の掛金15円(満額1、800円)で期間は10年でした。

これを昭和28年に日本経済新聞が記事にしたことで、冠婚葬祭互助会が全国各地に誕生します。互助会は月々定額積立で安価に結婚式や葬式ができるということで急激に普及していきます。通産省(当時)の管理下におく「割賦販売法改正」が国会で成立され、前払金の保全を行う互助会保証(株)、全国の互助会を傘下におく社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)が発足しました。

 

安価な葬儀ということで、葬儀料金の体系化・明朗化に影響をおよぼし、専門業者の団体である全葬連も各地で標準仕様作りを進めるところとなります。互助会においては、地方色を薄れさせ、葬儀の全国的な標準化、商品のパック化を進めたとの見方もあります。

現在、葬儀ローンや共済制度、あるいは保険を利用した新たな葬儀システムが登場していますが、顧客獲得と葬儀費用の支払いをシステム化し成功した最初のものが互助会でした。

専門業者の集まりである全葬連は、全国の組織化を進めると共に、昭和43年には「葬祭サービス業」を標榜するようになります。都市化や核家族化の進展によって、葬儀運営の主体が、それまでの地域共同体から業者に移行するという変化に対応しようとするものでした。葬具提供業から葬儀運営まで請け負う葬祭サービス業へ、「ハード中心からソフト中心へ」という現在まで続く業態転換となりました。全葬連は昭和50年に通産省認可の全日本葬祭業協同組合連合会へと発展します。(2003年の加入組合数57、所属業者数1562)

 

農協は、葬具貸出を大正末期より始めていましたが、業者依存する葬儀が増える昭和40年以降、葬祭事業を開始する農協が増えてきました。自前の葬祭センターを設けて本格的な事業化を図るようになり、また員外利用(組合員以外の利用)の増加しましたが、各地で既存業者との摩擦も増えていました。

 

戦後になり病院死が増え、葬祭業者と病院との提携が進みます。この頃より企業・団体と契約する営業方法が現れてきます。特に昭和60年以降はこの傾向が強く、構成員の福利厚生を考える生協、企業、団体、労組の意向と合致したこともあったようです。

 

大正時代から昭和の戦前にかけて霊柩車が利用されるようになりましたが、宮型霊柩車の使用が増えていくのは昭和35年以降のことです。交通の近代化、激化が地方にもおよぶところとなり、高度経済成長の波とともに宮型霊柩車が全国に普及しました。それと同時に各地で葬列が姿を消し、告別式にとって代わられるようになりました。

霊柩事業はもともと運輸省(現・国土交通省)陸運局による免許事業でした。社団法人全国霊柩自動車協会(全霊協)が協業化などによる構造改善事業を推進し、免許制から許可制に、さらに2003年には事後届出制となって自由化がいっそう進みました。全霊協は昭和22年に六大都市霊柩自動車連絡協議会を作り、社団法人として認可されている葬儀関連業界最大規模の組織です。

霊柩車は宮型が全盛となっていましたが、平成5年以降はバン型の輸入あるいは国産の洋型霊柩車が増加しています。

 

  • 霊柩車の車種別割合     宮型    洋型    バス型    バン型

1998年  38.4%   5.7%    11.6%    44.3%

2003年  33.2%   12.2%    9.6%    45.0%

 

戦前の昭和15年に55.7%と初めて過半数に達した火葬率は、戦後一気に上昇すると、各地方自治体で火葬施設の新設、統廃合、改善が推進され、昭和35年に63.1%と6割をこえ、昭和55年91.1%、平成13年には99.1%となっています。これは世界一の高水準です。

現在では「火葬場らしくない」近代的施設として無煙化、無臭化、緑地化を進め、地域住民の嫌悪感をなくすため「斎場」などと称するところが多くなりました。昭和47年に日本火葬施設整備管理協会が厚生省の肝入りで発足し、平成7年には、にほん環境斎苑協会が発足しました。阪神大震災で火葬場の一部が稼働停止し大きな影響がでたことから、災害時の対策、周辺火葬場との連携にも取り組んでいます。

 

火葬をめぐる地域習俗の違い、火葬を葬儀のどの時点で行うか、拾骨の方法などは、全国で大きく2つに分かれます。東京や関西その他では葬儀・告別式の後に火葬を行いますが、北海道や東北地方全域、関東北部や北陸、中国地方の一部などは葬儀・告別式に先立って火葬を行います。これは古くからの慣習というよりは、火葬導入にあたって、多くの地域で火を土葬の代わりと考えたのに対し、前記の地域では葬儀の最終局面を墓地への納骨と見る考えから火葬を葬儀・告別式に先行させたものとおもわれます。

また拾骨の方法は、日本列島を能登半島と静岡中部を結ぶラインで分けると、東側と西側一部が全部拾骨、大部分の西側では部分拾骨で、骨壺の大きさが異なります。

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葬列から告別式へ

大正時代になると、都市での大型葬列に対して「私事のために交通を妨げていいのか」などとマスコミにも批判の論調が目立つようになり、明治17年制定の「墓地及埋葬取締規則」によって、市街地での埋葬・火葬が制限されました。

その後、急激に葬列廃止の動きが進むことになり、代わって登場するのが告別式です。最初は1901(明治34)年の中江兆民の葬儀であると言われています。地方ではまだ「野辺の送り」と言われた葬列が基本でしたが、東京、大阪といった大都市では葬列が急激に減少し、代わって霊柩車、告別式が登場することになるのです。

葬列の廃止を葬祭業者は「分相応の葬列をしないということは人道にもとる」などと反撃しましたが、時代の流れを変えることはできませんでした。

霊柩車使用の最初は不明ですが、はっきりとした記録があるのは大正6年、大阪の有力な業者です。当時は米国の霊柩車のビム号を輸入したようです。米国の霊柩車は派手なものが多く、当時の輿と共通するものがあったのでしょう。葬列がなくなり、全国的に霊柩車や告別式が登場してくるのは戦後になってのことです。1920年代には日本人に合うようにと霊柩車を和風の唐草模様にアレンジし、宮型霊柩車が登場することになります。

大都市における告別式の登場により大きく変化したのが祭壇です。それまでは現在の枕飾り程度のものでしたが、これが前机となり、さらに2段、3段、段々のものや興を上に配するなど、現在の祭壇の形が生まれてきます。その後六灯(元来は葬列の道具である六道)などの新しい燭台、春日燈籠など祭壇道具の原型が作られ、専門職人も誕生しました。

昭和10年前後までは大都市でも葬列は細々残っていましたが、戦時体制になるとこれも消え、葬儀業界も戦時下に置かれることになります。昭和17年には六大都市の霊柩運送事業者の戦時合併が、また葬祭業者、葬具の製造、販売業者の統制組合化が行われました。霊柩車の燃料も不足し、葬具の供給も困難になります。

戦死者を駅で出迎えての慰霊祭も行われ、遺体収捨作業にも携わるところとなり、葬祭業者やその従業員が召集されることもありました。戦争の最終局面においては告別式どころではなく、きちんとした葬儀を施行する機会は失われました。

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